今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第95回目に取り上げるのは1992年に登場した日産レパードJ.フェリーだ。
フェラーリルーチェのデザインに騒然
今クルマ好きの間で騒然となっているのがフェラーリルーチェ。フェラーリ社初のBEVとして満を持して発表したモデルなのだが、物議を醸しているのがそのデザインで、フェラーリらしくないデザインに対し「フェラーリは終わった」とまで言われる始末。かつて社長を務めたルカ・ディ・モンテゼモーロ氏も伝統を汚す作品であると酷評し、「フェラーリのエンブレムを外してほしい」と懇願。恐ろしいもので、ルーチェを公開したとたんフェラーリ社の株価が日本円で約7000億円超下落するなど混乱を極めている。
フェラーリルーチェは最新のクルマで20世紀の日本車とは関係ないが、あるクルマを思い出してしまった。それが今回取り上げる日産レパードJ.フェリーだ。フェラーリルーチェとレパードJフェリーの共通点はデザインが酷評された点だ。ただ好き嫌いではなく、新しい提案を盛り込んだ意欲的デザインが仇となったのだ。
ブルーバードベースに誕生したレパード
レパードは日産のフラッグシップモデルの一角を担うモデルとして1980年に初代モデルがデビュー。2ドアハードトップと4ドアハードトップが設定されていた。1981年に初代ソアラが登場したことによりその影は薄くなってしまった。ベースは910型のブルーバード系(正確には北米向けに販売していたブルーバードマキシマ)だった。
2代目は高級パーソナルクーペとして出直し。ソアラに対抗すべくスカイラインR31型をベースとした高級感のある2ドアクーペとして登場したが、『あぶない刑事』の劇中車としてなくてはならない存在となるなど一部の熱狂的なファンは存在したものの販売面ではソアラに大きく差をつけられてしまった。
開発中止からの復活劇
販売面で苦戦したこともあり日産は3代目レパードの開発を一時凍結していたが、正式に中止となった。レパードは2代で終わることになったのだが、それに異を唱えたのが販売サイドだった。当時の日産の販売店(ディーラー)は日産店、モーター店、サニー店、プリンス店、チェリー店の5チャンネルが存在していて、レパードは初代がブルーバードベースだったこともあり日産店で販売していた。レパードが消滅することにより日産の販売店で最も歴史の古い日産店の販売ラインナップに穴が開くことを危惧。
そこで日産は北米向けに開発していたインフィニティJ30を3代目レパードとして日本で販売することにしたのだ。



















