今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第27回目に取り上げるのは、クロスオーバーカーの日産ラシーンだ。
1990年代初頭はRVが大人気
バブル崩壊後、1991年に登場した2代目三菱パジェロが大人気となり、クルマ界は空前のクロカンブームに沸き立っていた。クロカンとはクロスカントリーカーの略で、オフロードカー、ヘビーデューティカーとも言われる。今ではクロカンという呼称が使われるケース少なく単にSUVに分類されているが、当時のクロカンが大ヒットしたのはタフさ力強さを持ちながら、オンロード性能の進化、快適性の向上したことが大きい。
あと、家族、友人、カップルで休日にアウトドアを楽しむことが人気となったことから、レジャーを楽しむクルマという大きなくくりでRV(レクレーショナルビークル)と呼ばれて大人気となったのだ。当初はRV=クロカンだったが、ステーションワゴン、ミニバンもRVに加わっていった。
RVブームを受けて、アウトドア雑誌も多数創刊され、自動車雑誌『ベストカー』の姉妹誌としてアウトドアとRVを融合させた『FENEK(フェネック)』が創刊したのも1991年だった。
東京モーターショーで試作車を公開
RVブームの時に日産は、フラッグシップのサファリ、独創的なデザインで人気となった初代テラノ、BOXタイプミニバンのバネットセレナ(後のセレナと改称)&ラルゴ、乗用タイプミニバンのパイオニアであるプレーリーというRVをラインナップしていた。
そして、1993年の東京モーターショーでラシーンコンセプトという試作車を参考出品。クロカンのように背は高くないが、最低地上高は170mmとセダン、ワゴンよりも余裕があり、グリルガード、背面タイヤというクロカンテイストを盛り込んだ新しいコンセプトが大きな注目を集めた。
東京モーターショー1993での反響が大きくかったため、日産は1994年11月にラシーンの市販化決定、というリリースを出し、翌12月に正式発表となった。ラシーン(RASHEEN)の車名は羅針盤に由来している。
月販目標は1000台と少なめだったため、生産は日産のパイクカー、Be-1、パオ、フィガロを手掛けた高田工業が担当。高田工業で生産、ファニーなデザインということから、パイクカーの第4弾とも言われた。
時代に逆行するデザイン
東京モーターショー1993で出品されたのがコンセプトカーではなく試作車だったため、市販モデルは若干デザインの細部が修正されているがほぼほぼそのままのデザインで登場。クルマ界は1980年代以降、空力を追求しフラッシュサーフェイス(ボディの段差をなくす)化が当たり前となっていたが、ラシーンはスクエアなボディシルエット、平坦な面構成、立ったAピラーなど時代に逆行していてそれが新鮮だった。ラシーンよりちょっと前にホンダがシビックシャトルをRVテイストにしたシビックシャトルビーグルをデビューさせていたが、洗練度という点ではビーグルだったが、ラシーンのほうが目立っていた。
当時は「子どもが描いたクルマ」みたいと言われたが、レトロチックな雰囲気と相まってそれが大きな個性となっていた。