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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第28回目に取り上げるのは、ホンダのFFスポーツハッチバックであるCR-Xの初代モデル、バラードスポーツCR-Xだ。

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NSXより先にXを冠したモデル

初代ホンダCR-Xが登場したのは1983年7月。正式名称はバラードスポーツCR-Xで、つまりはホンダのFFセダンのバラードから派生したスポーツモデルだ。ちなみに車名のCR-Xは、諸説あってRは復興や再生を意味するRENAISSANCE(ルネサンス)でCはCAR(カー)、 CIVIC(シビック)とする説がひとつ。もうひとつがCITY RUNABOUT(シティランナバウト)、街中を気軽に走るというものだ。そしてそれらに未知数のXを組み合わせたもの。

小股の切れ上がったという表現がぴったりの初代CR-X

未知数を示すXと言えばNSX(もともとはNS-Xだった)が有名だが、CR-XはNSXよりも前に命名されていた。ちなみに初代CR-Vは海外でも販売されていたが、車名はシビックCR-Xだった。

バラードはマニア受けするセダン

CR-Xの派生元であるバラードはシビックの兄弟車。ただしシビックがハッチバックと4ドアセダンを設定するのに対し、バラードは4ドアセダンのみ。同じコンポーネントを使っていたが、シビックのようなメジャーな存在ではなかった。

このバラードは当時ホンダが提携していた名門ブリティッシュ・レイランドがトライアンフアクレイムとして販売していた。そのことがオーナーの自慢でもあり、唯一のよりどころだったと言ってもいい。バラードはよく言えばマニア受けするクルマだった。

バラードはシビックの兄弟車だったが4ドアセダンのみの設定

そんなこともあり初代をバラードスポーツCR-Xとフルネームで呼ぶ人など皆無で、単にCR-Xと呼んでいた。本企画でも以降は初代CR-Xとさせていただく。バラードから独立してCR-Xとなったのは、1987年に登場した2代目からだ。

1983年のホンダは新車ラッシュ

1983年のホンダは、7月に初代CR-Xを登場させた3か月後に3代目シビック(通称ワンダーシビック)、シビックシャトル、2代目バラードをデビューさせた。つまり初代CR-Xはコンポーネントを共用する本家バラードよりも先に登場したのだ。

これだけにとどまらず、1981年登場以来ホンダの屋台骨を支えるモデルとなった初代シティの最強バージョン、シティターボIIを登城させている。

当時のホンダの規模から考えると物凄い新車ラッシュだったと言える。

CR-Xの3か月後にデビューした3代目の通称ワンダーシビックは大ヒットとなった

サイズは現在の軽自動車並み

初代CR-Xのボディサイズは全長3675×全幅1625×全高1290mm。今のコンパクトカーと比べると圧倒的に小さい!! 特に3675mmのショートボディは現在の軽自動車規格が3400mm以下だから軽自動車とあまり変わらないレベル。

そして特筆は2200mmの超ショートホイールベースだ。すでに生産終了となっているが、ホンダS660のホイールベースが2285mmだから、初代CR-Xのホイールベースがいかに短いかがわかるだろう。この超ショートホイールベースが初代CR-Xのキビキビとしたハンドリングを生む要因のひとつになっていた。

2200mmのホイールベースはS660よりも短い!!
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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