今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第20回目に取り上げるのは、2代目トヨタスターレットだ。型式のKP61(ケーピーロクイチ)と呼ばれて親しまれた。
パブリカの派生モデルとして誕生
初代スターレットはトヨタの大衆車のパブリカの派生車として1973年にデビューを飾った。車名はパブリカスターレット。これはトヨタの派生モデルの常套手段で、コロナマークII、カローラスプリンター、セリカカムリなども後にそれぞれマークII、スプリンター、カムリと独立。パブリカスターレットは1974年のマイチェン&セダンモデルの追加を機にパブリカのサブネームが外れてスターレットとして独立した。
初代はジウジアーロがデザイン
パブリカスターレットはイタリア工業デザイン界の巨匠のひとり、ジョルジェット・ジウジアーロがイタルデザイン設立後に手掛けたモデルだ。当時の日本車は生産技術が熟成されていなかったこともあり丸みを帯びたモデルが主流だったが、直線基調のスポーティなエクステリアデザインのファストバッククーペは異彩を放っていた。
モータースポーツで活躍
パブリカスターレットは、当時の主流であったフロントにエンジンを搭載してリアを駆動するFR(後輪駆動)で、エンジンは1Lと1.2Lをラインナップ。
パブリカスターレットは、モータースポーツに投入された。老舗有力チームだけでなく、ビギナーを含むプライベーターからも人気で、ラリー、ダートトライアル、ジムカーナ、富士スピードウェイで開催されたマイナーツーリングなどで活躍。これによりスターレット=モータースポーツのイメージを確立した。
ただ、70歳以上のオールドファンを熱くさせたパブリカスターレットだが、2024年に58歳になる筆者はまだ小学生だったため、街を走っていたのはおぼろげな記憶はあるが、現役時代のモータースポーツでの活躍についての記憶はほとんどない。
世界的なハッチバック人気
日本では1972年にデビューした初代ホンダシビックがFF(前輪駆動)ハッチバックとして大ヒット。一方欧州では1974年登場のVWゴルフIの大成功によりFFハッチバックブーム到来となった。ファミリー層だけでなく、若者の個人車としても一大勢力となり大増殖。
日本では、1977年に初代ダイハツシャレード、4代目マツダファミリア、1978年にはスポーツイメージをアピールすることに成功した初代の後を受けて登場した2代目スターレット(以下KP61)もトレンドにのっとり3ドア/5ドアハッチバックで登場した。そして2代目スターレットの直後、約1か月後に初代三菱ミラージュがデビューし、役者が揃ったというわけだ。
KP61スターレットは時代に逆行してFRで登場
世界的にはBMC MINI、日本では初代シビックが先鞭をつけたFFハッチバックは、2代目スターレットがデビューする頃にはFFが当たり前となっていた。FF化が進んだ背景には、FFにはFRに必須のプロペラシャフト(後輪に動力を伝えるパーツ)が不要なため(1)部品点数が少なくコストダウンできる、(2)室内への出っ張りがないため室内スペースを広くとることができる、(3)簡素なリアサスでも性能を発揮できる、(4)軽量化できるなどのメリットの塊だったことが影響している。
しかし、KP61スターレットは時代の流れに逆らい、エンジンを縦置きのFRで登場。お金のかかるプラットフォームを新開発したのにトレンドのFFではなく絶滅危惧種だったFRを採用したのはトヨタの英断だろう。4代目マツダファミリアも2代目スターレット同様にFRレイアウトを採用していた。これが後に付加価値となり花開く。
駆動方式に関係なくハッチバックが大人気
ハッチバックにおいて、シビック、シャレード、ミラージュのFFとスターレット、ファミリアのFRの対決の構図となった。FR派は、「FFはステアリングへの干渉が大きくて不快。何よりもタックインが嫌」(※註:タックインとは、FF車でアクセルオフするとオーバーステア傾向になること)、対するFF派は「FRは走りが古臭い」と応戦するなどあったが、結果的には駆動方式に関係なくどのモデルも一定の成功を収めたのは特筆だ。デザインも含めて個性派が揃っていたのもハッチバック人気を後押ししたのだろう。