走ると意外にシビアなFR挙動
入門用FR車として需要が高かった2代目スターレットだったが、実は落とし穴があった。確かにFRの挙動を習得するには手頃だったのだが、ホイールベースが短いため、ビギナーにとってハンドリングはシビアで、下手をするとそれほどスピードを出していないのにすぐにリバース、つまりスピンしてしまうクルマだった。このKP61スターレットこそ、筆者が公道で初めてスピンしたクルマだった。
裏を返せば、FR特有のシビアな挙動が低い速度で体験できるのが入門用FR車と言われるゆえんとも言えるだろう。「コイツを乗りこなせるようになれば一人前」、この言葉を胸に多くのビギナーが運転の練習をした。
FRだけじゃないKP61の魅力
若者、クルマ好きにとってFRが魅力だったKP61だが、ファミリー層にもウケたのは、コンパクトだが広い室内、5ドアハッチバックの利便性がベースにある。クルマとしての使い勝手に優れていたのだ。
それに加えて買い得感の高い女性仕様のリセを登場させたり、1981年に自動でアイドリングストップするエコランシステムを搭載して低燃費をアピールするなど、ユーザーフレンドリーなクルマだったのは特筆点だろう。
スターレットは5代でジ・エンド
スターレットはKP61スターレットの後に3代目のEP71スターレットをデビューさせた(1984~1989年)。初のFFスターレットのキャッチコピーは『かっとびスターレット』で、ターボモデルを追加後は『韋駄天ターボ』、『辛口ターボ』などの異名でも有名だ。KP61スターレットとはレベルの違う速さに仰天!!
4代目はEP82スターレット(1989~1996年)でコイツはマイチェン後の丸4灯モデルが人気となったし、モータースポーツでも重宝されていた。
そして日本での最終モデルとなったのが1996年に登場した5代目のEP91スターレットで、ベーシックモデルのルフレとスポーツモデルのグランツァで大きく差別化されていて、最強モデルのグランツァVのスポーツ度は高く評価が高かったが、徐々に存在感を失って1999年に販売終了。5代、27年でスターレットが消滅となった。
スターレットの実質後継車はヴィッツなのだが、実は5代目スターレットにはVIT-Zというグレードが存在した。ハイフンを取れば……、『VITZ』(ヴィッツ)となる。これは単なる偶然とは思えない。
スターレットが南アフリカで復活!!
スターレットは日本だけでなく欧州をはじめ海外でも販売されていたが、どの地域、国も1999年に販売終了となった。そのスターレットというビッグネームが意外なところで復活。2020年に南アフリカで販売する新型コンパクトカーがスターレットと命名されたのだ。21年ぶりにスターレットの名前が復活したのだが、トヨタのオリジナルではなくスズキバレーノのOEMということで、往年のスターレット好きからすれば、なんで? となったのは当然のこと。
南アフリカに続き日本でも復活!?
日本とはまったくの関係のない現行スターレットだが、日本でも水面下で復活計画が進められているという噂がある。これは自動車雑誌の『ベストカー』が独占スクープしたもので、ダイハツが開発、生産を担当していたパッソだが、一連の不祥事もありトヨタ開発に切り替え、そのモデルをスターレットとして販売するというもの。
そしてラリーベース車としてGRが手掛けるGRスターレットを設定するというから楽しみで仕方がない。駆動方式はFFながら、KP61スターレットの再来とも言われているのも期待感を煽る!!
【スターレット3ドアS主要諸元】
全長3725×全幅1525×全高1370mm
ホイールベース:2300mm
車重:710kg
エンジン:1290cc、直列4気筒OHV
最高出力:72ps/5600rpm
最大トルク:10.5kgm/3600rpm
価格:82万1000円(4MT)
【豆知識】
3代目スターレットは1984~1989年に販売された。全長3700×全幅1590×全高1380mmで、ワイドになったことによりトレッドが広げられ走りのスタビリティが大幅に向上。KP61からの最大の違いはFFとなったことと、1986年に待望のターボが追加されたこと。軽量ボディにターボパワーの組み合わせでKP61とは異次元の動力性能を手に入れた。EP71の小さいが、ひとクラス上をカモる速さに魅了された人も多い。韋駄天ターボ、辛口ターボと言われるほど走りは刺激的だった。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/TOYOTA、ベストカー