オベ・アンダーソンが凄かった!!
KP61スターレットといえばTV CM。コイツが強烈にかっこよかった。まず『スターレット 操縦安定性を試す!!』というストレートなタイトルが特撮TVドラマの『仮面ライダー』の本編開始画面みたいで掴みはバッチリ。その後の映像は息を呑むようなスリリングなもの。ダートをKP61スターレットが激走するのだが、人間業とは思えないそのテクニック、初めて目にした激しいクルマの動きに筆者も度肝を抜かれた。
「カッコいい~!!」ただそれだけだが、そのインパクトは強烈だった。クルマといってもスーパーカーにしか興味のなかった小学生が衝撃を受けるのだから、当時多感な若者、クルマ好きがどれほど感化されたか想像に難くない。
アンダーソンとトヨタは蜜月の関係を構築
そのTV CMのドライバー、KP61スターレットで衝撃の走りを披露してくれたのは、ラリードライバーのオベ・アンダーソンだった。最終的にはオベという呼び方で統一されたが、スターレットのCM中でも『ラリーの神様 オブ・アンダーソン』と紹介テロップが流れていたように、オールドファンにはオブといったほうが懐かしいかもしれない。
トヨタが1970年代入ってアンダーソンのラリー活動をサポートしたのを契機に、蜜月の関係を構築。アンダーソン率いるオベ・アンダーソン・モータースポーツは途中からトヨ公認のもとTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)と名乗り活動した。1980年代に入りドイツのケルンに移ってからは、トヨタのWRC活動の欧州拠点となった。
現在のTGR-Eの礎
トヨタはTTE(母体はオベ・アンダーソン・モータースポーツ)を1993年に買収し、トヨタモータースポーツGmbH(TMG)を設立。WRCだけでなく、世界スポーツカー選手権(SWC)、ル・マン24時間レース、F1に参戦した。TMGは2020年に社名をトヨタ・ガズーレーシング・ヨーロッパ(TGR-E)に変更して現在に至る。トヨタの世界選手権参戦の活動拠点となった礎がアンダーソンと言ってもいいはずだ。
アンダーソンの死
そのアンダーソンは、2008年6月11日に南アフリカで開催された『ミリガン・クラシック・ラリー』に参戦したが、競技中に事故死してしまった。モータースポーツでは、時として見えざる力が働いているとしか思えないようなことが起こる。アンダーソンの亡くなった直後の2008年6月22日に決勝が行われたF1のフランスGPで、パナソニック・トヨタF1チームは、ドライバーのヤルノ・トゥルーリが3位表彰台を獲得し、アンダーソンに捧げた。この表彰台はチームにとって2006年以来の表彰台だった。まさに”アンダーソンに捧げた表彰台”となった。
新車を知らない世代にも中古車が人気
筆者にとって思い入れの強いアンダーソンの話が長くなってしまったが、KPスターレットは初代以上に若者を熱狂させた。軽量コンパクトで駆動方式はFR、そして軽量ボディには充分な72psのエンジンの組み合わせによる軽快な走りが魅力だったのだが、最大の要因は中古車価格が安かったことに尽きる。筆者が大学の頃(1986~1991年)は、1984年に3代目スターレット(EP71)がデビューしていたこともあり、20万~30万円出せば購入できるタマはあったし、探せばひと桁万円の個体もあったほど。
大学生がちょっとバイトをすれば手に入れられるレベルだったこともあり、非常に手頃感があった。筆者世代の人間にとっては新車時ではそれほどなじみがなかったKP61スターレットだが、中古車によって強烈に魅力的な一台となっていた。
先輩のKP61スターレットでいろいろ経験
大学自動車部に所属していた筆者の友人もKP61スターレットを買ったし、バレー部の先輩も買ってヘビーに使っていた。その先輩のクルマで一緒に合宿に行った時に初めて2代目スターレットを運転させてもらい、当時装着が義務付けられていた『キンコン、キンコン……』と鳴る速度アラーム音を初めて聞いた。クルマのない家に育った筆者にとってはちょっと感激モノだった。
あと、先輩のKP61スターレットはキャブレター仕様(マイチェン後に電子制御燃料噴射装置のEFIが追加)だったので、教習所では教えてくれなかったチョークの使い方、キャブレターの調整なども先輩から学んだ。