リモートワークが日常となった現代。働き方はもとより、暮らし方、生き方がオリジナリティに富み、ウェルビーイングを求めた多様な個々人の在り方が当たり前の風景となりました。そうした人生の中で “移住”というキーワードが注目され…
画像ギャラリーリモートワークが日常となった現代。働き方はもとより、暮らし方、生き方がオリジナリティに富み、ウェルビーイングを求めた多様な個々人の在り方が当たり前の風景となりました。そうした人生の中で “移住”というキーワードが注目され、日本中の様々な自治体が移住プログラムを推進、あらゆるメディアでも目にすることが多いですよね。さて、それでは実際に移住をした方々の移住後の想いはどうなのか。ちょっと興味が湧いてきませんか。ということで、いいこともあれば、ちょっと困ったこともあり。三者三様、移住者さんに聞いちゃいました。今回は移住先に大分県を選ばれた3組にご登場いただきます。第3回は品川皓亮、品川瑶子ご夫妻です。
弁護士とは別のスタイルでビジネスがしたい、リモートワークで就労
大分市は瀬戸内海の西端、別府湾に面した大分県中部に位置する県庁所在地。多様な企業が集積する都市であるとともに、市域の半分を森林が占めるなど豊かな緑にも恵まれています。利便性を優先し、自分たちの生活スタイルにフィットする地として大分市を選んだ品川皓亮、瑶子夫妻。リモートワークによって転職をせずに、東京からの移住を実現させました。
品川皓亮(以下、皓亮): 東京のベンチャー企業に勤務しています。転職支援を行う会社です。リモートワークで就労しています。
東京都出身の品川皓亮さんは京都大学で学んだ後、ロースクールへ。弁護士として活動していく日々の中、弁護士とは別のスタイルでビジネスがしてみたいという思いに。ベンチャー企業で成長していくという体験がしてみたい、しかもそれが社会的にも意味のある仕事でありたいと。そして2016年夏に現在の会社に転職。
「日本一たのしい哲学ラジオ」をポッドキャストなどで配信
皓亮:実はもう一つ、仕事を持っているんです。さまざまな歴史調査を行い、そのデータを活用して歴史的な観点から企業のコンサルティングを行う仕事なんです。例えばある企業の経営課題について、過去2000年、3000年というスパンでの歴史データを調査し、そこから得られる知見で今後の50年、100年に向けて経営アドバイスを行う仕事です。
学生時代から歴史や哲学が好きだったという皓亮さん。ポッドキャストをよく聞いていたそうで、その一つ歴史キュレーション番組「コテンラジオ」というプログラムの歴史調査チームに参加することが、この仕事のきっかけになる。いまでは自身の番組も運営しているそうだ。
皓亮:パーソナリティとなって「日本一たのしい哲学ラジオ」というプログラムをポッドキャスト、Spotify、YouTubeで配信しています。難しいと思われがちな哲学にもっと触れて欲しいという思いから、さまざまな切り口でやさしく解説しています。ポッドキャストランキングでは1位なんですよ。
コロナ禍がきっかけ、移住計画がスタート
リモートワーク、そしてポッドキャストなどのリモート配信という仕事により、移住のハードルがグッと下がったという皓亮さん。そのきっかけを聞くと……
皓亮:コロナ前には移住はほぼ考えていませんでした。今はこどもが4人になりましたが、当時3人のこどもとのマンション生活も手狭になっていたこともあり、都内近郊で一軒家への引っ越しを考えていたんです。
品川瑶子(以下、瑶子) やはりコロナ禍での環境が移住を大きく後押ししました。こどもたち3人とマンションに缶詰、保育園は休みですし、そこで夫も仕事もして。そんな状況下で、庭でもあればこどもも外で遊べるし、野菜を育てたりと有機的な活動ができるのになぁ……と。
皓亮 当時すでにフルリモートで働く環境になっていたので、高い家賃で手狭な空間にいるよりは、のびのびできる場所に行くのも良い選択かと考えました。そこから移住計画をスタートさせたんです。
移住するなら海があるところへ
奥様の瑶子さんは新潟県の出身。皓亮さんは出身も会社も東京。ということで候補になった移住先は……
瑶子:最初は群馬県が候補地になりました。新潟と東京のほぼ中間地点ということで。それで下見に行った際に宿泊していた宿ではたと気がついたんですよ、群馬には海がない……って。その夜に二人で会議、どうせ移住するなら海がある場所がいいよねって考え直し。「じゃあ、大分?!」ってなるんです。
群馬県から一転、大分県へ。一択となったその理由とは。
皓亮:大分県は司法修習時代に1年ほど暮らしていたんです。その時は大分市内でした。当時、まだ結婚はしていませんでしたが、妻も2、3回大分に遊びに来ていたんです。その時、彼女も大分にいい印象を持ったそうです。僕も当時の研修仲間と車で大分県内を回ったりして、「いい場所だったなぁ」という想い出があったんです。それで、大分アリかも……と。
瑶子:全く縁のない場所で一から生活を始めるという気持ちはあまりなかったと思います。
皓亮 僕たちは移住に際して田舎暮らしがしたいということではありませんでした。障がいのあるこどもがいますので、やはり病院など環境のことを一番に考えなくてはなりません。便利で、気候が良くて、ご飯がおいしく、その上自然もあって……しかも縁もあるということで大分から探し始めたんです。
みんな優しい、それが心地よくて…
移住に向け動き出すお二人。自分たちの考える生活スタイルに合う場所を探すため、前もって数回大分を訪れ、候補地を見て回った。
瑶子:まずは私がこどもを二人連れて2回ほど来ました。その後、夫と私が別々に1回ずつ。県内いくつかのエリアを見て歩きました。コロナ禍での移住先探しで、子連れで見て回るわけです。当時のことを考えると、東京から人がやってくるというのはどうなのかなぁ……という思いもありましたが、みなさんほんとうに優しく接していただき、それがすごく心地よかったんです。
大分に来て人生が変わった
さまざまな条件を踏まえながら、リスクになることをできる限り排除した環境探しの中で大分市を選んだお二人に訪れるさまざまな変革。
皓亮:妻は大分に来て本当に人生が変わったんですよ。
瑶子:東京で暮らしている頃から、子育ての母親たちとのコミュニティをつくりたかったんです。でも自分自身もフワフワしていて、余裕がなかったというか。それが大分に来てから大きく変わったんです。安定したというか、生活が満たされているのがわかるんです。その分、他者への気持ちに余裕が出てきて。シャンパンタワーの法則とでも言えるのかと。とにかく大分にいるだけでエネルギーをもらっている感じ。それと、東京にいた時にはなかった安心感のようなものを実感しています。コロナ禍を経て、昨今のさまざま災害を見ても東京で暮らしを守ることは難しいなぁと。でも大分であれば他者との繋がりや助け合いがあるんです。それも安定の要因になっているかもしれないですね。
自分のアクションが市政に届く
そんな瑶子さんの活動は多岐に渡り、コミュニティづくりにますますパワーも。
瑶子:東京にいる頃に抱っこでダンスという活動を始めたんです。赤ちゃんを抱っこしながらお母さんたちのリフレッシュのために体を動かそうという取り組み。互いの交流も兼ねて。抱っこ紐の講師とかもやっていました。そうした活動をもとに、大分へ来てからはよりアクティブに動いています。今日は大分市街で政治カフェという座談会がありました。月1回開催で、子育て世代が政治にもっと参加しやすくすることを目的に立ち上げた集まりです。大分市議の方とともに活動しています。自分のアクションが市政にちゃんと届く、変化があることを実感してもらいたいと思っています。
「ママの癒し」をテーマにマルシェイベント
さらに、お二人には大きな目標も生まれて……
瑶子:実は、同じ大分市内に引っ越して拠点をつくることを計画しているんです。月に1回程度、「ママの癒し」をテーマに仲間と一緒にマルシェイベントの活動を続けています。そのコミュニティもそれなりに大きくなり、私自身も活動拠点を持ちたいなぁと考えていたんです。そこでご縁があって田んぼに囲まれた素敵な民家をご紹介いただけて。最初はいつでもみんなが集まって活動できる場になればと考えていたんです。それで夫にその場所を見てもらったら、自分もここで何かをしたいということになり、それなら自宅もそこに移してしまえば……ということで、自宅兼用の空間を建てることになりました。
皓亮:僕がやっている哲学のこととか、何かこの場所で研修を行うような空間にもしていきたいと考えています。宿泊ができるようにもしていきたいと。
瑶子:仲間と一緒に育てていくことを楽しみたいと思っています。人生が大きく変化している真っ最中ですね。
車の購入、それが大分の魅力を深く知ることに
大分での暮らしを大いに楽しんでいる品川さんご夫妻に、移住で困ったことを聞いてみると。
皓亮:移住して丸3年が経ちました。生活に大きなギャップが出ないようにしっかりと下調べして移住してきたので、移住当初で大きな失敗というか、不便さを感じることはなかったですね。災害のハザードマップなどを調べたりもして選んだ場所です。
瑶子:車ぐらいでしょうか。予想はしていたんですけど、最初は車なしで移住してきたんです。車なしでも生活ができるということでこの場所を選びました。自転車を購入してのスタート。その後、障がいのあるこどもの関係で、学校へはどうしても車での送迎が必要ということになって。東京では障がいのある人に対してタクシーチケットの配布がしっかりとあり、移動も賄えていたんですが、こちらの制度としてはそれが少ないんです。それで車の購入ということになりました。ただ、車があって、大分の魅力をより深く知ることにもつながっています。車で1時間も移動すれば、自然のアクティビティがたくさんありますから。東京では考えられないことですよ。
皓亮:それと、面白い体験をさせてくれる人がいっぱいいるんですよね。それが無限にある感じ。
瑶子:困ったことではないですが、こどもたちが(小猿のように?!)元気すぎるようになったこと!(笑)
皓亮:移住はこどもにもいいとは思っていたんです。もともと元気が有り余っていたんですけど、それがもっとのびのびして。ちょっと元気すぎ!
コミュニケーション能力が高くなった
瑶子:それとともにコミュニケーション能力が高くなりました。すぐに大人と仲良くなって、可愛がってもらえるんですよ。東京で暮らしていた頃は、こどもにもちょっと窮屈な思いをさせていたかもしれないって思っています。
皓亮:僕に関して言えば、東京に比べて図書館へ行くのがちょっと不便になりました。図書館は仕事に関わる多くの時間を費やす場所でもあるので。それと地域のお仕事。今年はこの地区の班長になったんです。回覧板とかポスティングとか、敬老会のお手伝いとか。コミュニティへの参加。周辺も高齢化のせいか、やること自体は少ないんですけどね。
最後に、お二人にとっての移住とは……を伺ってみると。
皓亮:もともとは「移住がしたい」という強い思いがあったわけではないんです。自分たちの家族構成とか暮らしへの思いを大切にした結果、そこに違う場所への移動があったという感じ。
瑶子:移住に限らず、今は自由に動きながら自身の個性を活かせる時代。場所を動くことによって変化が起こることがあると思います。移住という手段を通してのアクションですよね。合わなければもうワンアクション……でいいんじゃないですか。
大きな夢「のつはるみんなのいえ」
皓亮:今回の新たな拠点「のつはるみんなのいえ」づくりも大きな夢。移住してきてから今までは自分たちの価値観と大分とを適合させてきた3年間だったと思います。そしてこれからは、いろいろな人たちが大分とフィットする機会を、この拠点をベースにして僕たちがつくっていけたらと思っています。
オンラインだからこそ可能となった東京からの移住。そして大分に来て、図らずもリアルなつながりが生まれ育ちはじめ、今まさにそのつながりを発展させてより素敵な姿にしようとする品川夫妻。オンラインのつながりとリアルなつながり、その掛け算がうまくできれば、これからの3年、5年が素晴らしいことになるという皓亮さんの言葉は、大分を選んで正解だったという確信に裏打ちされているようだ。
■『おんせん県おおいたの転職なき移住情報サイト』https://oita-tenshokunaki-iju.jp/
写真:奥田正治
編集、執筆:エディトリアルストア
※情報は令和6年11月26日現在のものです
※一部敬称略