道を歩いている人に、なんという木か聞いてみました。すると、「ロブレ」という答えがかえってきました。これがロブレだったのです。冬になると葉はぜんぶ落ちると言うのです。落葉広葉樹のナラの種類なのです。 「この先を四キロメート…
画像ギャラリーカキが旨い季節がやってきた。衣はカリッと身はジューシーなカキフライ、セリがたっぷり入ったカキ鍋、炊きたてのカキご飯。茹でたカキに甘味噌をつけて焼くカキ田楽もオツだ。カキ漁師は、海で採れたてのカキの殻からナイフで身を剥いて、海で洗ってそのまま生で食べるのが好みだという。
そんなカキ漁師の旅の本が出版された。『カキじいさん、世界へ行く!』には、三陸の気仙沼湾のカキ養殖業・畠山重篤さんの海外遍歴が記されている。「カキをもっと知りたい!」と願う畠山さんは不思議な縁に引き寄せられるように海外へ出かけていく。フランス、スペイン、アメリカ、中国、オーストラリア、ロシア……。
世界中の国々がこんなにもカキに魅せられていることに驚く。そして、それぞれの国のカキの食べ方も垂涎だ。これからあなたをカキの世界へ誘おう。連載第7回「やっぱりそうだった…!「日本の漁師」がスペインまで行って確かめた、三陸の海「リアス」で”旨いカキ”が育つワケ」にひきつづき、スペインのカキとホタテ貝とサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者のたどった道を訪ねる旅だ。
みごとなガリシアのロブレ(広葉樹)の森
南リアスには、遠回りですが山ごえをしてからむかうことにしました。リアスの背景の森を見たかったからです。
内陸部のルゴ県に入ると、あっちにもこっちにも、白い花を咲かせたクリ林が見えます。ルゴの名産はカスターニャ(クリ)です。その昔、スペインにじゃがいもがまだ入らないとき、この地方の主食はクリだったそうです。クリの木といっても、日本では想像もつかないほどの巨木が立ちならんでいます。
製材所も数多くあり、ルゴは昔から木材産業の中心地なのです。ガリシアは森の国でもあるのです。
さらに奥のほうに入っていきました。こんどは松林がどこまでも続きます。雨が多いせいでしょうか。シダ植物が松の木の下一面に生えていました。
でも、昔、ガリシアをおおっていたというロブレの森はまだ見つかりません。日本のブナの原生林のように、もっと山おくに入らないと見られないかもしれないのです。
松林の中を、車で一時間は走ったでしょうか。坂をくだっていくとだんだん広葉樹が多くなってきました。やがて、小さな町の入り口にさしかかると、みごとな並木道がつづいているのが見えました。
道を歩いている人に、なんという木か聞いてみました。すると、「ロブレ」という答えがかえってきました。これがロブレだったのです。冬になると葉はぜんぶ落ちると言うのです。落葉広葉樹のナラの種類なのです。
「この先を四キロメートルほどいくと、ロブレの森が続いている」
と教えてくれました。
やがて、黒々とした森が見えてきました。みごとな広葉樹林です。ロブレにまじって、カスターニャもそびえています。ものすごい木です。これが、昔のガリシアの森の姿なのです。今でさえ、あんなに豊かな海なのに、こんな木々におおわれていた昔の海はどんなにすごかったか、想像しただけで気が遠くなるようです。
ようやくウリァ川の上流にたどりつきました。この川をくだっていくと、ガリシアの西岸でもっとも大きなアロウサ湾に出るのです。地図を見ると、さっきのロブレの森も、ウリァ川上流の森であることがわかりました。川沿いの道は、のどかな農村風景がつづいています。大きな茶色の牛が、干し草を山のように積んだ車をひいています。
ガリシアは雨が多く牧草がよく育ち、スペインでもっともおいしい肉牛の産地であることも知りました。畑の野菜もみごとに育っています。土地が肥えているのです。それは、この農地もロブレの葉が落ちてできた、腐葉土だからです。
アロウサ湾のコキーユ=サンジャック(聖ヤコブのホタテ貝)
広大なポプラの森を通りぬけると、ウリァ川の川幅が急に広くなりました。どこからか潮のかおりがただよってきます。そして、大きな橋をわたると海が見えたのです。リア・デ・アロウサ(アロウサ湾)です。ウリァ川がけずった谷が沈降してできた周囲100キロメートルもある巨大な湾です。
じつはここが、サンティアゴ(聖ヤコブ)がキリスト教の教えを伝えるため、はじめてこの国を訪れたとき上陸したといわれる地です。また殉教後、その遺体を乗せた小舟が地中海を通って流れ着いたという伝説の地でもあるのです。さっそくその地パドロンに行ってみました。
川にかかる橋の近くには、小教区教会があり、その中に、サンティアゴが乗ってきた舟をつないだという石がありました。その石をパドロンと呼ぶのだそうです。カトリック教徒にとって、ここは聖地です。また、世界的な名所なのです。
お土産を売る店がならんでいました。なんとどの店も、ホタテ、ホタテです。ホタテをデザインした銀細工、イヤリングやブローチ、ネックレス、それからスプーンなどホタテづくしです。ホタテ料理を目玉にしたレストランもたくさんありました。店の人に聞くと、目の前の海が、昔からホタテ貝がたくさんとれるところとして有名なのだそうです。
これでわかりました。サンティアゴのしるしがホタテ貝の殻なのは、フランスから巡礼に来た人々が、この地パドロンで名物のホタテ貝を食べたからです。
そして、聖地にきた記念に、軽くて、こわれにくく、デザインのいいホタテの殻をおみやげに持ち帰ったのでしょう。それが、この地にきた証拠にもなったのです。それから、巡礼に訪れる人々が、そのしるしとして、この貝殻を身につけて来るようになったのですね。
フランス語で、ホタテ貝のことを、コキーユ・サンジャック(聖ヤコブの貝)ということがやっとわかりました。
でも、なぜここがホタテ貝の産地かといえば、ウリァ川が運んでくる森の養分がえさになる植物プランクトンを育み、また川が運ぶ砂が、ホタテ貝が好む砂地を海底につくっているからなのです。
聖地巡礼の歴史も、リアス海岸という背景があったからなのですね。ここもやっぱり「森は海の恋人」の世界でした。
…つづく「「こんなうまいものがあるのか」…20歳の青年が、オホーツクの旅で《ホタテ貝の刺し身》に感動、その後始めた「意外な商売」」では、かきじいさんが青年だったころのお話にさかのぼります。
連載『カキじいさん、世界へ行く!』第8回
構成/高木香織
●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)
1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。一方、子どもたちを海に招き、体験学習を行っている。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。