鉄道の「廃線」を巡る かつて東武東上線から光が丘へと伸びる軍用鉄道が存在した 戦後計画された東武鉄道による通勤線化はなぜ頓挫したのか #GHQ#光が丘#成増#米軍基地#鉄道 記事に戻る 現在の陸上自衛隊練馬駐屯地付近に見る、在りし日の専用線の線路。現在このあたりには環状8号線が通っている=1955年ころ撮影、写真提供/練馬区通称「啓志線」の路線概略を示した空中写真=1947年11月28日・米軍撮影空中写真より国土地理院データ(M636-A-No1)に筆者加筆グラントハイツの正門にあった案内板=1967年ころ撮影、写真提供/練馬区 グラントハイツ跡地に形成される光が丘地区の全体案内図=2025年8月25日、練馬区光が丘練馬区錦2丁目21番地先付近で撮影された「啓志線」の踏切。写真に見る英語表記の踏切標識は、米軍専用線の証といえよう。このころは、東武鉄道の蒸気機関車がけん引する貨物列車が走っていた=1955年ころ撮影、写真提供/練馬区東武鉄道の「専用側線払下げ」申請を取下げたことが記された公文書の写し=資料所蔵/国立公文書館東武鉄道が専用側線を地方鉄道として免許申請した際の公文書に書かれていた路線計画図=資料所蔵/国立公文書館当時の空中写真に見る上板橋駅周辺のグラントハイツ専用側線(啓志線)の線路敷=米軍撮影空中写真より国土地理院データ〔M515-A-83〕に筆者加筆上板橋北部信号所跡から伸びる線路跡は、マンションに建て替わっていた。そこに寄り添う道路は当時から存在し、鉄道らしい曲線を描いている=2025年8月25日、板橋区上板橋旧川越街道の踏切跡。ここに鉄道が走っていたことなど想像もできない情景だった=2025年8月25日、板橋区上板橋周囲の建物に比べると建物の向きが極端に異なっていたアパート。ここが線路跡だとすぐわかった=2025年8月25日、練馬区錦「踏切の写真」と対比できる建物や目標物はあるわけもなく、ここに列車が走っていたと言われなければわからない場所だった=2025年8月25日、練馬区錦【再掲】練馬区錦2丁目21番地先付近で撮影された「啓志線」の踏切。写真に見る英語表記の踏切標識は、米軍専用線の証といえよう。このころは、東武鉄道の蒸気機関車がけん引する貨物列車が走っていた=1955年ころ撮影、写真提供/練馬区線路敷跡に建つアパート。このように解りやすい建物は、この場所以外では見当たらなかった=2025年8月25日、練馬区田柄当時の空中写真に見る「田柄田んぼ」の中を走るグラントハイツ専用側線(啓志線)の線路敷=米軍撮影空中写真より国土地理院データ〔M1277-1〕に筆者加筆 記事に戻る 東武東上線から東京・光が丘へと伸びる軍用線が存在した 戦後計画された東武鉄道の通勤線化はなぜ頓挫したのか