鉄道の「廃線」を巡る 3日間だけ存在した原宿駅から伸びた支線 明治神宮の敷地を譲り受けた山手線の線路敷 #代々木#原宿#山手線#鉄道 記事に戻る 代々木公園内に設置される「昭憲皇太后大喪儀葬場殿趾碑」の位置図=園内案内板に筆者加筆原宿門から見た代々木公園=2025年12月3日、渋谷区代々木神園町代々木公園内に設置される「昭憲皇太后大喪儀葬場殿趾碑」=2025年12月3日、渋谷区代々木神園町代々木御式場(昭憲皇太后御大喪式場)平面図。中央が葬場殿。昭憲皇太后御葬大奉送始末〔東京市〕1914年より=資料/筆者所蔵「葬場殿」を正面から見た全景写真。代々木公園にある趾碑は、この向きで設置されている。昭憲皇太后大喪儀写真帖〔大喪使〕1914年より=資料/筆者所蔵「葬場殿仮停車場」の全景写真。左端に写る屋根の建物が葬場殿。昭憲皇太后大喪儀写真帖〔大喪使〕1914年より=資料/筆者所蔵上の写真とほぼ同じ位置から写した現況写真。当然ながらその痕跡は何も遺されていない=2025年12月3日、渋谷区代々木神園町現在の原宿駅と旧・原宿駅の位置相関図。明治神宮造営誌〔内務省神社局〕より=資料/筆者所蔵当時の原宿駅から葬場殿仮停車場を結んでいた山手線支線の略図=代々木公園案内版に筆者加筆1906(明治39)年から1924(大正13)年までの18年間、このあたりの線路沿いに旧・原宿駅はあった=2025年12月3日、渋谷区千駄ヶ谷表参道からつづく神宮橋を渡った先から明治神宮の一の鳥居がある南参道方向を見る=2025年12月3日、渋谷区神宮前旧・原宿駅の位置が示された明治神宮境内原形図。明治神宮造営誌〔内務省神社局〕より=資料/筆者所蔵現在の原宿駅宮廷ホームのあたりから見た旧・原宿駅の山手線ホーム越しに見る「造営材」を積んだ貨車と荷下ろし用ホーム。明治神宮造営誌〔内務省神社局〕より=資料/筆者所蔵明治神宮を造営中の境内から貨車で運ばれてきた「鳥居木材」越しに見る旧・原宿駅。ホームの屋根と改札口とホームとを結ぶ跨線橋が確認できる。木材の手前には軽便トロッコのレールが見える。明治神宮造営誌〔内務省神社局〕より=資料/筆者所蔵明治神宮の造営時に境内に敷設されていた引き込み線。撮影場所不明。明治神宮造営誌〔内務省神社局〕より=資料/筆者所蔵今年で創建100年を迎えた原宿駅宮廷ホーム(線路右側の建物)=2025年12月3日、渋谷区千駄ヶ谷 記事に戻る 山手線に3日間だけ存在した支線があった 時は大正時代の原宿駅、何があったのか