【画像ギャラリー】今はもうない「お化けガード」や、再開発で発掘された旧東海道の護岸と高輪築堤 #鉄道 記事に戻る 高輪築堤の石垣を避けるように大正期に建設された京浜高架橋の基礎部分(写真の上側中央に見える四角い開口部分)=2022(令和4)年2月20日、東京都港区高輪高輪築堤(鉄道用)の外海側に築かれた石垣。このうちの一部に旧東海道の石積みが転用された=2021年9月19日、東京都港区高輪東海道沿いの用地を拡大するため、高輪海岸沿いの水路の一部を埋め立て、新たに石積み護岸が築かれた。写真中央の四角く盛り上がった部分が、発掘調査で判明した明治期の地面=2024(令和6)年7月13日、東京都港区高輪1887(明治20)年の埋め立て地から発掘された、ガラス瓶などの生活用品=2024(令和6)年7月13日、東京都港区高輪1887(明治20)年の埋め立て地から発掘された“磁器製”の便器(写真中央)と、その下部に設置された甕(かめ=写真右)。磁器製の便器は、陶器製に比べて高価だったことからも、当時の豊かな暮らしぶりがうかがえる=2024(令和6)年7月13日、東京都港区高輪第七橋梁の発掘状況。写真の右奥が高輪大木戸跡。この一帯は、再開発の完成とともに公園として整備され公開される予定=2021(令和3)年9月19日、東京都港区高輪ガードに蓋(ふた)をするように設置されていた鉄道橋がはずされたのちの通称「お化けガード」こと、高輪橋架道橋。現在は解体されており、この姿を見ることはできない=2021(令和3)年4月15日、東京都港区高輪 記事に戻る 再開発で見つかった明治の鉄道遺構「高輪築堤」 海上の築堤を推したのは誰だったのか