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 スーパーファミコン内蔵テレビ。ファミコン内蔵テレビ。あるいはツインファミコン。のっけからここを読もうとする人を振り落とすようで申し訳ないが、上記の文字列に幼い記憶を喚起された人は、私と同世代か、かなり近しい世代なはずだ。「金持ちの友だちの家にあってうらやましかったよな」とか「どっちかが壊れるとどっちも見れないんよね」とか「旅館の部屋にもコイン式で置いてなかったっけ」なんて言いながら、いっしょにビールでものんだらたのしいにちがいない。あれは、ゲーム機とテレビが、あるいはゲーム機とゲーム機が一体化した、当時の子どもの夢が具現化するような家電だった。

■「シャープ」=「合体が得意なメーカー」というイメージ

 テレビに合体したのはゲーム機だけではない。テレビとVHSデッキが一体化したテレビデオなんていうモノもあった。テレビデオなんて、ある世代にとっては、お茶の間や子ども部屋の原風景の一角を占める家電といってもいいと思う。ブラウン管の下に開いた長方形の口に、ビデオテープをつっこんだ時のガチャコンという音を、ビデオでなにを見たかという記憶とともに覚えている人も多いだろう。正確な数字はわからないけど、当時のテレビデオ普及率といえば、かなりなものだったと思う。

 ある世代に、シャープはなんでも合体させるメーカーだというイメージを強烈に持つ人がいることを知ったのは、私が大人になり、会社で働き出してからずいぶんと経ってからだった。そのイメージの大部分は、ゲーム機とゲーム機を合体させたり、ゲーム機とテレビを合体させたり、テレビとビデオデッキを合体させたりした、あの一体化家電たちによってもたらされていた。

 そのイメージの由来に気づいたのは、私が最新の家電ではなく、過去の家電を宣伝することで、お客さんの頭の中にある思い出とコミュニケーションする試みに夢中になっていた時だった。ぐうぜん1990年代初頭に発売したスーパーファミコン内蔵テレビをSNSで紹介したら、合体家電の象徴だったとでも言うかのように、驚くほどたくさんの人が拍手喝采と自分の思い出を吐露してくれたのである。それでゲームを遊んだ子どものころの記憶は私にもあったけど、それがどこのメーカーだったかなど、当時はまったく意識していなかったので、それを作った企業までを含めた膨大な思い出に、私はちょっと面食らってしまった。

 合体家電というイメージは、全面的にポジティブなものではない。一般にメーカーがブランドイメージとして獲得したい要素、たとえば先進的であるとか、技術力が高いとか、クールであるといった、自分たちがお客さんにそう思ってほしいと押し付ける、自己愛を含んだ印象とはいささか様相が異なる。そもそもみなさんが想像するとおり、合体という言葉にスマートさはみじんもない。

 どちらかというと合体は、アホっぽい。なんというか、それを口にする人の顔に半笑いが貼り付くような、嘲笑と愛嬌がない混ぜになった、なんともいえないイメージである。だってそうだろう。合体とは、二つを一つにすればスペースを省けるという合理性を飛び越えて、好きなものをいっしょにしたい、二つを同時に手に入れたい、最強に最強を建て増ししたいという、子どもじみた欲望によってこそ駆動されるからだ。

 だからこそ、あの頃子どもだった私たちは、合体家電に魅了されたのだろう。そしてその思い出が、大人になったあとも人懐っこく、ブランドイメージに作用し続けたのだ。同時にそれは、ブランドの成立の仕方として唯一無二なものだったのではないか。これひとつでなんでもできるスマホのような、いまでいう「オールインワン」の論理とはちがって、かつての合体には夢と純真があったのだ。

 遡れば、シャープの合体家電はまだまだある。80年代前後には、ひげ剃りとドライヤーを合体させたヒゲドラなる珍品や、冷蔵庫の腰あたりに電子レンジを組み込んだ銘品もあった。中でも一瞬の徒花のように存在した合体家電として、ソロカルがある。

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■「合体」は「既知への道しるべ」...
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山本隆博
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