日本酒は好きですか? 私は大好き! でもただ「旨い」と呑み、楽しく酔うだけ。好きだからこそ理解して呑みたい。そこで日本酒の品揃えに定評のある、人気の居酒屋『青天上』(東京都杉並区)の店主であり、利酒師の齋藤正浩さんに日本酒について教わった。今回は日本酒の歴史について!
画像ギャラリー諸説ある、日本酒の起源とは
市村:そもそも日本酒は、どのようにして造られたのでしょうか?
齊藤:稲作が始まった頃、およそ2000~2500年前からすでに造られていたとされています。
起源には諸説ありますが、『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』、『風土記』などにもお酒が登場しています。その中で酒のことは「キ」、「ミキ」、「ミワ」、「クシ」などと呼ばれていたそうです。
いずれにしても元々は神事などに使われる、神聖なものから発展したようです。
市村:今でも神社仏閣に行くと、日本酒が奉られている光景を目にします。お正月や祭礼などの際にいただくお酒を「御神酒(おみき)」って言います。まさに神様のお酒ですね。
齊藤:その通り、「神酒」は今でも残っているお酒に関する言葉です。
市村:先ほど、日本酒の起源は諸説あるというお話しでしたが。
齊藤:学んだ知識ですが、大隅国という、現在の鹿児島県東部に残る『大隅国風土記』(713年以降)に、「クチカミノ酒」という技法が記されています。水と米を用意し、村中の男女が生米を噛んでは容器に吐き出し、ひと晩以上置いて酒を醸していたとされ、これが酒造りの起源のひとつとされています。
酒を造ることを「醸す」と言いますが、口噛みの「噛む」が由来なのだとか。
市村:中南米や南太平洋地域など、世界でも行われていたとされる技法ですね。唾液中のアミラーゼがデンプンを糖に分解して自然発酵するという。
齊藤:ほかには、現在の兵庫県西部に伝わる『播磨国風土記』(713年頃)によると、干し飯にカビが生え、それを利用して造った酒で宴会をしていたとか。
市村:そのカビってもしかして……?
齊藤:日本特有の「麹菌」です。カビの一種である麹菌は、湿度の高い東南アジアや東アジアにしか生息していません。その中でも日本の麹菌は「コウジカビ」といって、「国菌」に認定されています。麹菌にはデンプンを糖にしたり、タンパク質をアミノ酸に分解するなど、酵素の生成の働きがあります。
市村:それが日本酒の美味しさに繋がっているんですね!
齊藤:はい。第1回で「米麹」を使っていなければ日本酒とは名乗れないとお話しした通り、酒造りには欠かすことのできない重要な菌です。
なお、稲穂に付いたカビの胞子を利用し、米を糖化させるという手法を用いた説もあります。
市村:我々の生活と密接な関係がある、菌のありがたみがよくわかるお話しですね。
最初の日本酒はどんなお酒だった?
市村:そのお酒がどのように発展していくのでしょうか?
齊藤:本格的な酒造りの始まりは奈良時代頃とされています。平安時代に20年以上もの歳月をかけて編纂された『延喜式(えんぎしき)』(905~927年)という本によると、朝廷によって酒造りが行われていたことがわかっています。
この時代、「造酒司(さけのつかさ・みきのつかさ)」という役所があり、「酒部(さかべ)」という部署が設けられました。豊作祈願などの神事で酒が扱われていたそうです。
市村:起源は諸説あれど、神事で使われたということは、一般の人々にとってお酒は、まだまだ手が届かないものですよね?
齊藤:そうですね。平安時代には寺院で僧侶が造るようになります。「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれ、代表的なものには、「天野山金剛寺」(大阪府河内長野市)の「天野酒(あまのざけ)」と「菩提山正暦寺」(奈良県奈良市)の「菩提泉(ぼだいせん)」があります。
この「菩提泉」は、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や酒母の原型である「菩提酛(ぼだいもと)造り」といった、現在の醸造法の基礎が確立され、“最初の日本酒”とされています。
市村:最初とは興味深い。どんなお酒だったんですか?
齊藤:今の日本酒とは異なり、少し熟成酒っぽく風味が強いんです。ちなみに、「菩提酛」を使用した日本酒自体は現在もあります。
市村:ビールやワインなども修道院で造られたり、お酒と宗教施設は世界中で切っても切れない関係のように感じます。神聖なところや神様とつながっているんですかね?
齊藤:そのあたりはよくわかりませんが、僧侶が飲むために造ったわけではないというのは、何かで読んだ記憶があります。
市村:神様に捧げるためとか?
齊藤:それも諸説あるようです。僕が聞いた話では、昔はお酒を造って売ることで収入源としていたそうです。お寺や神社などは区画ごとの地域のものであり、そこですべて自給自足していました。その畑で自分たちで育てたお米でお酒を造り、お寺の経営を回していたとか。
全国で都市化が進み、商業が盛んになってくると酒が米と同等の経済価値を持ち、流通するようになります。
市村:この頃から京都を中心に酒蔵が誕生しており、「柳酒屋」や「梅酒屋」といった酒蔵名が記録に残っているそうです。
齊藤:最初は農家さんなどが造って、だれかれの酒は旨いと評判になり、酒造りを専門にする人が限定されていくことで、蔵元ができていったのではという認識です。
なお、鎌倉時代の武士の中には、お酒で身を持ち崩したり、酔っ払っての揉め事が増えたそうです。
市村:酒乱になってしまったお侍さんが多かったんですね(笑)。というか、耳が痛いです。
齊藤:そのため、1252(建長4)年には、「沽酒の禁(こしゅのきん)」という禁酒令が公布されたほどだったとか。
市村:お侍さんとお酒といえば、例えば落語の『禁酒番屋』は、武士がなんとかお酒を飲もうとするいじらしい噺。『ちりとてちん』では『灘の生一本』といった、お酒が出てくる噺もたくさんありますね。
齊藤:なお、現存する日本でいちばん古い酒蔵は、1141(永治元)年創業の「須藤本家」(茨城県笠間市)で「郷乃譽」というお酒が代表銘柄です。
市村:酒蔵見学も開催されているので、ぜひ行ってみたい!(http://www.sudohonke.co.jp/)
齋藤:京都に室町幕府が開かれると、幕府は酒蔵を有力な財力源として捉え、特権を与える代わりに「酒屋役」という名の税を徴収し始めます。
京都ではさらに酒造りが発展し、1425(応永32)年には342軒もの酒蔵があったとか。それに伴い酒造技術は急速に発達し、これらのお酒は高い評価を受けたそうです。
この頃から、酒造りが現在のような形に発展・定着したとされています。
次回は、日本酒の造り方や仕込みについてなどご紹介します。【第3回に続く】
■『焼き鶏 青天上(あおてんじょう)』
「お酒とは飲む人が楽しくなるツールであるべきで、そのバックボーンにあるのが居酒屋だと思っています」と話す齋藤さん。焼き鳥がメインの1号店は丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅から徒歩1分、その斜め向かいに2号店の『魚肴 青天上』がある。2021年6月には、3号店となる西荻窪店(上写真)をオープン。1号店と2号店のいいとこ取りだ。
[住所]東京都杉並区西荻南3-24-1
[電話番号]03-6913-7719
[営業時間]15時~24時(23時LO)
[休み]無休
https://www.instagram.com/aotenjo/?hl=ja
取材・撮影/市村幸妙
参考文献:『新訂 日本酒の基』(NPO法人FBO)、月桂冠(https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/industry/world/world01.html)、みんなの発酵BLEND(https://www.hakko-blend.com/)、菩提山正暦寺HP(https://shoryakuji.jp/sake-birthplace.html)、沢の鶴株式会社(https://www.sawanotsuru.co.jp/site/nihonshu-columm/knowledge/sugi-dama/)、株式会社幻の酒(https://www.maboroshinosake.com/sake/rekisi2/)
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