音楽の達人“秘話”

ビートルズのデビューが“現在”だったら伝説は生まれたか+筆者の極私的ベスト3 音楽の達人“秘話”ジョージ・マーティン(4完)

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。英国の音楽プロデューサー、ジョージ・マーティン(1926~…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。英国の音楽プロデューサー、ジョージ・マーティン(1926~2016年)の最終回は、いつものごとく、筆者が選ぶベスト3です。その紹介の前に、インタビューで筆者がジョージ・マーティンに訊きたかったことに触れます。それは、“現在”にビートルズがデビューしていたら、これほどまでの伝説のバンドになりえたか。答えは―――。

メガ・ヒットと、伝説になることは違う

ジョージ・マーティンに訊きたかったことのひとつが、もしザ・ビートルズが1990年代にデビューしていたら、あのような超人気バンドになれたかという質問だった。

それに対し“現在(1990年代)、ザ・ビートルズがデビューしたとしよう。彼らの能力ならメガ・ヒットを飛ばせたと思う。でも、それはあくまでも人気バンドのひとつであって、伝説になれたかというとそれは難しいと思う。ザ・ビートルズのデビューした1960年代初期と異なり、今は情報があふれ、音楽用の機材も進歩している。そういった恵まれた環境は誰にでも公平で、均一に優れた才能の持ち主は、それらをキャッチし、シーンに出て来る。だからある程度の才能があればメジャーになるだろう。でも、それと伝説になるのは違うんだ。これからザ・ビートルズほどの伝説となるバンドは生まれにくいと思う

「抱きしめたい」 1964年、このシングルと出逢わなければ…

この連載の第4回はいつもは、登場してもらったミュージシャンのレパートリーの中から極私的3曲を選ばせて頂いている。今回はその3曲を選ぶのは特に難しい。何故なら、ぼくにとってはザ・ビートルズは青春の宝であり、すべての楽曲が好きだからだ。それでもあえて1曲選ぶとしたら「抱きしめたい」だ。1964年2月5日、東芝音楽工業株式会社からリリースされたこのシングルと出逢わなければ、ジョージ・マーティンとも逢えなかったし、こうして拙文を書くことも無かったと思う。

今聴くと現代のオルタナティヴ・ロックに比べてザ・ビートルズの楽曲は熱量が薄く感じられるかも知れない。でも13歳のぼくには衝撃的だった。その頃に愛聴していたアメリカン・ポップスと異なるエネルギー感を覚えたのを今でも鮮やかに記憶している。ザ・ビートルズはぼくの生き方を確実に変えたのだ。

「ハロー・グッバイ」 人生の真実を含んだ歌詞

極私的3曲の2曲目は「ハロー・グッドバイ」だ。数あるザ・ビートルズの大ヒット曲の中では地味かも知れない。この曲の歌詞の“君はイエスという。ぼくはノーと言う。君がグッバイって言えば、ぼくはハローって言う”という内容には人生の真実が含まれている。1967年、この曲を聴いたのは17歳だった。この歌詞と寺山修司の詞“さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう”とダブらせて、ぼくは若き日々を生きてきた気がする。

これまで様々なFM局でDJをさせて頂いたが、番組が終了する時、エンディング曲はいつも「ハロー・グッバイ」をかけさせてもらって来た。ハローといってグッバイとリスナーに応えてもらいたかったからだ。

ジェフ・ベック「シーズ・ア・ウーマン」 ビートルズの名曲のカヴァー

ジョージ・マーティンはザ・ビートルズだけでなくジェフ・ベック、ケニー・ロジャース、ウルトラヴォックス、ソロのポール・マッカートニーなどもプロデュースしている。

1969年には名門AIRスタジオをオープンさせている。もっとプロデュースを手掛けても良かったのでは?というぼくの質問には“ザ・ビートルズ以降、様々なプロデュースの依頼は実際にあった。でもザ・ビートルズの残したもの~遺産を守るのがぼくの務めだったので、ほとんどは辞退させてもらった。ただジェフ・ベックだけは力を入れた。すでにスーパースターになっていたエリック・クラプトンやジミー・ペイジに比べて、彼はヒットに恵まれていなかった。今ではジャズ・フュージョンと呼んでいるオール・インストゥルメンタル・アルバムを作って、彼のギターの素晴らしいテクニックを音楽ファンに聴いてもらおうと思い制作したのが、『ブロウ・バイ・ブロウ』だったんだ”と答えてくれた。

ジョージ・マーティンがプロデュースした名盤の数々。上段はビートルズ(『レット・イット・ビー』の最終的なプロデュースはフィル・スペクター)。下の2枚は、ジェフ・ベックの『ワイアード』(1976年)と、『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975年)

『ブロウ・バイ・ブロウ』はジェフ・ベックにとって初の大ヒットとなった。ジョージ・マーティンに優れたプロデュース能力があることを示した傑作だと思う。極私的名曲その3は、このアルバムの中から「シーズ・ア・ウーマン」を選ぶ。ザ・ビートルズの名曲のカヴァーだ。この曲を聴くとザ・ビートルズの曲はいかなるアレンジにも耐えることが分かる。とにかくメロディーが良いからだ。

2016年3月8日、ジョージ・マーティンは90歳でこの世を去った。ザ・ビートルズの遺産はプロデューサー/エンジニアである息子のジャイルズ・マーティンが守り続けている。

岩田由記夫

1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。

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