国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。英国の音楽プロデューサー、ジョージ・マーティン(1926~2016年)の第3回は、約30年前に筆者が最初に逢った時の様子を紹介します。「英国紳士」の雰囲気が伝わってくるエピソードです。
地味なスーツ姿のジョージ・マーティン
音楽シーンのVIPにインタビューしたり、逢って話をする機会は何度もあった。彼らの服装は日本のVIP~CEOのイメージからするとかなりラフな場合が多い。日本のVIP~レコード会社の社長ともなれば、スーツ姿が多いのに対し、海外のVIPはタトゥーやピアスをしている人すらいる。
ザ・ビートルズがお好きな方なら御存知だろうが、ドキュメンタリー・フィルムなどに登場するジョージ・マーティンはいつも地味なスーツ姿だ。例えば2021年公開のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』でのジョージ・マーティンは、ほとんど地味なスーツ姿だ。サウンド・プロデューサー的な存在だったグリン・ジョンズが、最新流行のファッションだったのに比べ好対照だ。
「ジャケットを脱いでいいかね」開口一番の言葉
ぼくが初めてジョージ・マーティンと逢った時も彼はチャコール・グレイの地味なスーツ姿だった。梅雨の合間、晴れて蒸し暑い日だった。インタビューのために用意したホテルの一室に入って来たジョージ・マーティンは、まず今日は暑いねと言った。そして“申し訳ないけれど、ジャケットを脱いでワイシャツ姿になっていいかね”と言った。
ぼくは開口一番のこの言葉に驚いた。多くの日本人なら、ジョージ・マーティンほどのVIPがジャケット~スーツの上着を脱ぐのにいちいち断りを入れるのかと思うだろう。部屋に入って来て、暑かったら上着をポンと椅子の上に置けばいいのでは?と思わないだろうか?ファッションに詳しい方ならイギリスに於いて、スーツの下のワイシャツは下着なのだ。上着を脱ぐというのは下着姿になるということだ。だから、ジョージ・マーティンは、“ジャケットを脱いでいいかね”と訊ねたのだ。
そして“ジャケットを脱いだので、カメラ撮影は遠慮してくれないか”と同席したカメラマンに念を押した。下着姿を写真に撮られたくないからだ。“話が終わったら私はジャケットを着る。そうしたらフォト・セッションOKだ”と言った。
ジョージ・マーティンは英国の伝統を重んじる紳士なのだ。紳士たるもの下着姿の写真など恥ずべきものなのだ。ジョージ・マーティンはジョン・レノンとポール・マッカートニーに関するぼくの質問に対し、ジョンを否定はしなかったが、“ポールの方が気が合う”とは言っていた。ポールの自伝を読めば分かるが、ポールは若い時、女優のジェーン・アッシャーと交際していた。ジェーン・アッシャーは上流階級の作法を身につけたと述べている。マナーが共通するということはイギリス人には重要で、上流階級のマナーを学んでいたポール・マッカートニーに対して、ジョージ・マーティンがシンパシーをはせるのはもっともだと思った。