浅田次郎の名エッセイ

「勇気凜凜ルリの色」セレクト(35)「脂肪肝について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第35回。40を過ぎ、作家として売れ始めて運動不足になった作家が、突然襲われた体調不良。その原因とは?

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脂肪肝について

作家は人並み外れた甘党であった

よいこでお留守番をしていたので、トップスのチョコレートケーキにありついた。

下戸である私は甘いものに目がない。美食家ではあるが健啖家ではないので、外食のままならぬ多忙な昨今では、そのエネルギー源のほとんどを糖分から摂取している。

ちなみに昨日の食事メニューによると、朝食がトップスのチョコレートケーキを1回分定量、すなわち1本の半分。昼食がミスタードーナツ1個プラスおはぎ、プラス豆大福2個。夕食は少量の米飯ののちに、ユーハイムのフランクフルタークランツを1回分定量、すなわち1個の4分の1カット、プラス小布施堂の栗羊羹を1缶。湯上りにアイスクリーム、夜食に虎屋の「夜の梅」と神田エスワイルのショートケーキを食った。

もちろんその間、1杯につき約9グラムの砂糖を加えたブルーマウンテンを、10杯以上は飲む。

実は子供のころからこうした食習慣を身につけてしまっているので、さして特殊なメニューであるとは思っていなかった。誰でもふつう、こんなふうに甘いものを食っているのであろうと、何の疑いもなく信じていたのである。

それでも40を過ぎるまで格別の変調もなく、たいして肥えもせずにきたのは、自衛隊以来の体育会的生活のたまものであろう。

朝晩腹筋背筋を各100回、屈み跳躍50回、自衛隊名物「体力向上運動」をワンセット、早朝の走りこみとインターバル10本。日常生活においても私は長いこと、「新宿─銀座間は歩くものだ」と思いこんでいた。

つまり、知らず知らずのうちにこうした運動によって過剰に摂取した糖質を燃焼させていたのである。

問題は、「知らず知らずのうちに」生命体のバランスを維持していたところにある。すなわち、本が少しずつ売れ始め、週刊誌に連載エッセイを書くようになって、必然的に運動量が減ると、もともと摂取カロリーなんて全然気にしていなかったものだから、体重は飛躍的に増大した。

同時に悪循環が始まった。体重が増えれば運動そのものが面倒になる。新宿─銀座間も歩くより地下鉄に乗った方が早いのだと、遅まきながら気付いた(余談ではあるがその結果、『地下鉄(メトロ)に乗って』という小説を書き、文学賞を貰った)。しかも、運動量の減った分だけストレスが溜まるので、酒の飲めない私は以前にも増して甘いものを食い始めたのであった。

そうこうするうち昨年の夏、突如として異常なる痒みに襲われた。体中のあちこちに湿疹が発生し、女もうらやむ玲瓏(れいろう)たるお肌が、たちまちにしてボコボコになってしまったのであった。

もともと私は、体育会系→自衛隊→度胸千両的業界→小説家、という稀有の人生を歩んできたために、痛えことと苦しいことにはめっぽう強いのである。だがしかし、痒さには耐えられなかった。

で、心臓病のおふくろがかかりつけの医者を訪れ、診察を乞うた。

医者は嫌いである。診察室に座っているだけで脂汗がにじみ、血圧がみるみる低下するほどの医者嫌いなのである。もし注射をすると言われたら、どうやって脱走するかと、待合室ではそればかりを考えていた。

私の体をひとめ見たなり、「ああこりゃひどいね」と、医者は言った。「えーと、塗り薬を下さい。塗り薬です」と、私は勝手な要求をした。

注射はしないと固い約束をしたにも拘(かかわ)らず、医者は採血をした。「はあい、力ぬいてえ。注射じゃないからねえ、血を採るだけだからねえ」と言いながら、彼は私の腕に針を打ったのであった。

脂肪肝の原因は酒でも脂でもなく

泣く泣く帰ったその数日後、血液検査の結果が出た。コレステロールと中性脂肪の数値が異常に高く、脂肪肝の疑いがあるという。生来おのれの肉体の頑健さを信じている私にとって、この診断は衝撃的であった。詐欺の疑いとか、暴行傷害の疑いはかけられたことがあるが、脂肪肝の疑いとはまさしく青天の霹靂(へきれき)である。

うまい抗弁も思いつかず、弁護士を呼ぶわけにもいかないので、とりあえず黙秘権を行使するほかはなかった。すると医者は屈強な看護婦に命じて、私を薄暗い別室に連行せしめた。

何だか拷問にかけられそうな気がして観念すると、医者はやおら私の腹部に、多少の快感を伴う液体を塗り始めた。超音波検査をするのだと言う。

まさか痛いんじゃないでしょうね、と訊くと、絶対に痛くはないと言うので、ちょっとでも痛かったら殴るぞという条件付きで検査を開始した。

小さな機械がベトベトになった私の腹の上を滑り、モニターに肝臓の姿が浮き出た。

「ね、まっしろでしょ。これみんなアブラです。立派な脂肪肝ですよ」

検事から決定的な物証を提示されたように、私は押し黙った。

「とりあえずお酒はやめなさい。食事は脂っこいものは控えて、量も減らすこと。いいですね。体重を5キロ落としてからもういっぺん検査してみましょう」

私はホッと胸を撫で下ろした。どうやら命にかかわるというほどの事態ではないらしい。やめるも何も酒ははなから飲まないし、近ごろ胸ヤケがするので脂っこいものは控えている。しかも自他ともに認める一流サウニストであり、1日の入浴で3キロやそこいらは落とす自信がある。その気になれば5キロのダイエットなんて、今日の明日にもやってみせる。

「ハッハッ、なあんだ。そんなことでいいんですか。楽勝、楽勝!」

私は急に明るくなって、病院を後にした。

ところで、よく人に言われることなのであるが、私は一見して大酒飲みに見えるんだそうである。そういう人相というものが果たしてあるのかどうかは大いに疑問であるが、ともかくつきあいの浅い出版社は、必ずといって良いほど、盆暮にはウイスキーやブランデーを贈ってくる。

私にとってたいそう不幸であったことは、診断を下した医者も私の人相に対して同様の印象を抱き、まさかこの顔でトップスのチョコレートケーキやユーハイムのフランクフルタークランツを、朝に晩にむさぼり食っていようとは考えてもいなかったのである。

こうして無知な私は、メシを減らした分だけ甘味を増やし、そのうえ毎日サウナに通って5キロの減量をするという、医学的にいえばたぶん最悪の療法を試みたのであった。

ほぼ一月の後、体重こそ減ったが気持の悪さも肌の湿疹もいっこうに治まらぬまま、再検査と相成った。

当然のことながら、中性脂肪の数値はさらにはね上がっていた。データを見ながら医者は、「おっかしいねえ……」と、私を睨みつけた。「本当にお酒をやめましたか? ごはんは減らしましたか?」

「はい。お酒はタダの一滴も飲んではいません。メシもかつて使用していた茶碗は犬にくれてやり、子供用のミッキーマウスの柄の茶碗で1膳、と決めています。天プラ、トンカツ、ステーキ、その他脂っこい食い物はいっさい口にしてはいません」

「ほんとに?」

「はい。決してウソではありません。何なら私の作家生命を賭けてもよい」

そのとき、診察室に看護婦が入ってきて、言わでものことを言った。

「先生、浅田さんからこれ、いただきました」

それは、私が日ごろのご愛顧に報いるために持参した、トップスのチョコレートケーキであった。「やあ、こりゃどうも」と言ったなり、医者の笑顔はハッと凍えついた。

「……あなた、コレ、好きですか」

「ハ? ……ハイ。好きですけど……何か」

こうして私の病因は明らかになった。

しかし、誰が何と言おうと甘いものはやめない。甘味を断ってまで長生きをする気はさらさらない。

どうか皆様の周辺に名産の甘味があれば、編集部あてにご一報下されたいと切に思う次第である。

(初出/週刊現代1995年11月11日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『日輪の遺産』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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