スプーンに乗せた潰したトマトをペロリと食べ、周囲を驚かせた ある日のこと、浩宮さまの体調を管理していた佐藤久東宮侍医長(当時)は、トマトを潰してスプーンに乗せ、そっと浩宮さまに差し出してみた。すると、浩宮さまはトマトをペ…
画像ギャラリー2月23日、天皇陛下は63歳の誕生日を迎えられた。63年前のこの日、午後4時15分に国民が待ち望んだ力強い産声をあげられたのだ。美智子さまは、乳人制度を廃止してご自分の手で子育てされた。親王浩宮さま(今の天皇陛下)は、お生まれになったときからたいそう食欲旺盛だったという。浩宮さまの人生初の食事はどのようなものだったのか。
美智子さまのたっぷりの母乳を好きなだけ飲める「自己欲求栄養法」
宮内庁病院でのご出産後の美智子さまの母乳は豊富で、浩宮さまは好きなだけ母乳を飲める、名付けるなら「自己欲求栄養法」とでもいえるものだったという。
皇太子さま(今の上皇陛下)は、すぐに病院にかけつけ、美智子さまと新宮さまを見舞われた。そして、お二人が退院されるまで毎日欠かさずにお見舞いし、抱き上げられたり、美智子さまの授乳の様子をご覧になった。
お見舞いの時に皇太子さまは、8ミリフィルムのカメラを手に新宮さまのご様子を熱心に撮影された。ビデオ片手に赤ちゃんを見つめる新米パパの姿は、なんともほほえましい。病室には「入院中にさみしいといけないから」と入院直後に皇太子さまが届けさせた、美智子さまのお好きな熊のぬいぐるみが飾られてあった。
浩宮さまのご成長はお健やかで、やがてスープをお飲みになるようになった。そろそろ離乳食に挑戦するころあいである。
スプーンに乗せた潰したトマトをペロリと食べ、周囲を驚かせた
ある日のこと、浩宮さまの体調を管理していた佐藤久東宮侍医長(当時)は、トマトを潰してスプーンに乗せ、そっと浩宮さまに差し出してみた。すると、浩宮さまはトマトをペロリと食べてしまった。
周囲の人たちは驚いた。「トマトくらい」と思われるかもしれない。しかし、それまでの宮さま方は離乳が非常に難しかったのだという。なかなか離乳食が食べられなくて、いつまでも離乳できない宮さまもいたからだ。
そのとき佐藤東宮侍医長は、
「皇室に(美智子さまという)新しい血が入った」
としみじみ感じたという。初めての病院での出産、初めての母乳という、美智子さまの初めてづくしの子育ての成果は、早くも浩宮さまの「初めてのお食事」という形で表れたのである。
一方、美智子さまには離乳を早く進めなければならない事情もあった。1960年9月には日米修好通商百周年を記念する訪米の予定があったのである。美智子さまにとって、初めての海外公務であった。その時まで母乳を飲ませていたら、海外出張はできなくなる。
美智子さまの祈りは届き、浩宮さまの離乳食は順調に進んでいった。赤ちゃんは賢い。親がのんびり構えていれば、赤ちゃんも「甘えてよい」と判断する。しかし、働く母親はそうはいかない。ときには身を切られる思いで子どもから離れる時間を取らなければならない。
そうして、赤ちゃんの浩宮さまの力強いご協力を得て、皇太子さまと美智子さまはアメリカへ旅立ったのである。
文・写真/高木香織
イラスト/片塩広子
参考文献/『浩宮さま 美智子妃殿下の育児』(佐藤久著、番町書房)、『美智子皇后の「いのちの旅」』(渡辺みどり著、文春文庫)
高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから真子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、カレンダー『永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。
片塩広子
かたしお・ひろこ。日本画家・イラストレーター。早稲田大学、桑沢デザイン研究所卒業。院展に3度入選。書籍のカバー画、書籍・雑誌の挿画などを数多く手掛ける。