創業者は大正13年、中国から日本にやって来た JR京都駅の北口(中央改札)を出て東に数分歩くと、いつも行列の絶えないラーメン店があります。そのお店は昭和13(1938)年創業、京都ラーメンの最古のお店「新福菜館」です。 …
画像ギャラリー新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています。このプロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。
7月18日から始まる第19弾は、京都の「新福菜館(しんぷくさいかん)」です。
21年ぶりにラー博に登場!
第19弾は、昭和13年創業、京都の最古参ラーメン店「新福菜館」の登場です!
【あの銘店をもう一度・第19弾・「新福菜館」】
出店期間:2023年7月18日(火)~2023年8月7日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21
新横浜ラーメン博物館地下1階
※第17弾「CASA LUCA」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる
・過去のラー博出店期間
1997年8月1日~2002年11月30日
岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント「浙江省出身者がラーメンの歴史に大きく関わっている」
京都のラーメンというと、関東では、当時、京風ラーメンというインスタントラーメンがあり、薄口であっさりした味わいをイメージしていましたが、初めて食べた新福菜館さんの濃口ではっきりした味のラーメンはイメージと真逆の味でびっくりしました。
私の持論として、長く繁盛しているラーメン店は、必ず麺に特徴があると思っています。新福菜館さんの麺も低加水で中太の特徴的麺で、濃口のスープと本当にマッチし、無性に食べたくなる中毒性を持っています。
話は変わりますが、出店後の調査で色々と分かってきたのですが、新福菜館さんの創業者の徐さんは中国の浙江省出身で、この浙江省出身者がラーメンの歴史に大きく関わっていることがわかりました。例えば、喜多方ラーメンのルーツである「源来軒」、新潟・燕の背脂ラーメンの祖「杭州飯店」、王貞治さんのお父さんのお店「五十番」といったお店の創業者は、皆さん同郷です。浙江省からの流れがどのように日本のラーメン文化に影響を与えたかを調べていくのが私の楽しみでもありますし、いずれ発表したいと思っております。
創業者は大正13年、中国から日本にやって来た
JR京都駅の北口(中央改札)を出て東に数分歩くと、いつも行列の絶えないラーメン店があります。そのお店は昭和13(1938)年創業、京都ラーメンの最古のお店「新福菜館」です。
新福菜館の創業者は浙江省から日本に渡ってきた徐永俤さん。
徐さんは大正13年5月に入国し、眼鏡や反物の行商を経て、昭和13年頃、京都駅前で妻の文子さんとともに屋台を始めました。開業当時は中華そばになじみのない時代だったため、1日5杯売るのがやっとだったとのことですが、そこから徐々にお客さんが増え、店を構えたのは昭和17年頃。現在の本店の場所でした。
戦後になると、もの凄い勢いで繁盛し、早朝から夜間までの営業で、多い日には1日2000人近いお客さんが来店。繁盛とともに、従業員も常時12~13名が働いていました。
屋台時代から、中華そば一本で勝負しており、昭和20年代のメニューは並、小、肉なしの3種類だったようです。
名物「ヤキメシ」は昭和40年代後半に誕生、スープは煮干しから変更
もう1つの名物の「ヤキメシ」は、創業者から引き継いだ山内勝さんが、昭和40年代後半に考案したものでした。
山内さんは昭和38年頃から新福菜館の味に惚れ、通い詰めているうちに、創業者の娘であり現・新福菜館の代表である初子さんと結婚。修業を経て昭和46年に跡を継ぎました。
創業時から勝さんが継いだ昭和46年頃までは、スープに煮干しが使われていました。スープも今ほど黒くなかったようです。
勝さんは、先代の味をブラッシュアップすべく、煮干しをやめ、鶏ガラと豚の旨みを増やしました。するとその味にやみつきになったお客さんがどんどん増え、再び大繁盛店となっていきました。
「京都=あっさり」ではないラーメン
今でこそ、京都はラーメン激戦区と言われるようになりましたが、新福菜館がラーメン博物館に出店した当時(平成9年)、京都は和食のイメージが強く、京都=ラーメンというイメージがそれほどありませんでした。
なおかつ、京都=あっさりというイメージがあったため、濃口醤油の黒いラーメンを見て驚く人も多くいました。
京都には三大ラーメンと言われるスタイルが存在しますが、いずれも「あっさり」ではないイメージと真逆なのが面白いところです。
下記が代表的な系統と店舗です。
(1)濃口醤油味系・・・新福菜館(昭和13年)、第一旭(昭和31年)他
(2)背脂こってり醤油系・・・ますたに(昭和24年)、ほそかわ(昭和60年)
(3)鶏こってり白湯系・・・天下一品(昭和46年)、天々有(昭和46年)
昭和51年には、京都・四条河原町にあった阪急百貨店に「京都あかさたな」というラーメン店が開業します。こちらは、「新福菜館」とは対称的に薄口。甘味も注文できるとあって、女性客の心をつかんで、話題を集めます。その後フランチャイズで各地に出店したことで、昭和50年代以降、この薄味の“京風らーめん”が一大ブームに。ただ、もともと京都のラーメンは新福菜館に代表されるように、「濃口」なのです。
新福菜館のラーメンの魅力
平成9年の新横浜ラーメン博物館への出店時は、山内勝さんが陣頭指揮をとり、運営していただきました。
今回は、勝さんの長女夫婦が陣頭指揮をとり、この3週間、直系直伝の味を披露いただきます。
スープは鶏ガラを主体に豚の旨みをうまく調合。タレは創業から使用している京都の老舗醤油製造所「五光醤油」の熟成濃口醤油をベースに豚の旨みが加わります。
麺は、近藤製麺の中太のストレート麺。実はこの麺、創業者の徐さんが当時うどんを製造していた近藤製麺に指導をしてできたもの。新福菜館の麺は近藤製麺の一子相伝の技術で今も特注の麺となっています。
コク深い濃口醤油のスープに麺がよく絡みます。
具は何と言っても表面を覆うチャーシューとネギ。創業時からこのスタイルを貫いています。1日に80kg近く使用するというチャーシューは「白身」と「赤身」をバランスよく配置。
そして新福菜館のもう1つの看板メニューが黒い「ヤキメシ」
前述通り、これは山内勝さんが昭和40年代後半に考案したメニュー。チャーシューの端が残るのがもったいないと考え、勝さんが大の玉子好きだったことが誕生経緯とのこと。ラーメン同様に黒味のかかったヤキメシの秘密はラーメンに使用する醤油ダレで味付けているからです。
「新福菜館」のラーメンがラー博で食べられるのは実に21年ぶり。昭和13年から続く、直系直伝の味をこの機会に是非お召し上がりください。出店期間は2023年7月18日(火)~8月7日(月)です。皆様のお越しをお待ちしております。
『新横浜ラーメン博物館』の情報
住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人380円、小・中・高校生・シニア(60歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円
※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/