ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第21話をお送りします。
楊貴妃を愛した皇帝は蛾からできたガムを
よくもここまでとホトホト感服するこの手の料理。それにしても文字の国民だけあって、その由来や名称も男たちに夢を抱かせてくれる。
千鳥の卵の博士やアポリネールには悪いが、強精、強壮食にかけては世界中の国が束になっても中国にはかなわない。
4000年とも5000年ともいう悠久の歴史の中で育てられた英知の凄味がある。
唐の玄宗皇帝といえば、はじめは息子の嫁だった楊貴妃に恋をして、とうとう自分の妃にしてしまった横紙破りの王様で、息子の寿王は生涯エディプス・コンプレックスに苦しんだに違いないと拝察しているが、この玄宗皇帝の愛用した強精食に〔雄蚕蛾〕というのがある。
この蛾の雄は、1匹で数百匹の雌を相手に24時間休みなく奮戦する腎張りで、何のことはない養蚕のマユを破って出てきたばかりの若い蛾である。これを集めて、羊が好んで食べる草の〔淫羊藿〕とまぜ合わせ、トロトロになるまで蒸してから干しあげる。
これを玄宗皇帝はチューインガムを嚙むように、始終くちゃくちゃやっていたそうだが、楊貴妃の口の中はそのせいでいつも粉っぽかったのではなかろうか。
漢の第11代成帝になると、側室の女たちも100人近くの大部隊にふくれあがって、少々のスタミナ食では手持ちの女たちをこなすこともできなかったようだ。
皇帝の日常食は、羊の腎臓、鶏の睾丸、鹿茸、真珠牡蠣、5種類のヘビを混ぜて作る五蛇羹、デンドロビウムというラン科の植物を干した石斛、燕窩、広東地方の米の収穫期にだけやってくるスズメで禾花雀など、その道には絶対利くといわれるものばかりを召し上がっていた。
仏像が塀を飛び越えて食べにくる美味
なかでも皇帝が好んだ朝食時のスープは、この世で手に入れられる最高の美味と珍味から作られた。
まず、広州の江瑶柱(貝柱)、金満鮑(干鮑)、海参(干しナマコ)、フカ翅、世界一おいしいハムといわれる金華火腿、これらに加えるのが《幻の不老長寿薬》、中国の吉林省で産する〔吉林人参〕だ。
長白山に自生する100年ものなら、いま香港で1本2~300万円はする。運よく200年モノでも1本探し当てれば、まず一生働かなくても食べていかれるというので、長白山には現在でも一発屋が横行しているといわれる。
以上の材料をスープで煮込むわけだが、そのスープはさきに紹介した〔禾花雀〕と、6月の中旬に四川省の池で捕まえる〔フナの頰肉〕の干したものから作られる。フナの頰肉とは、これまた何という繊細、精緻!
こうして出来上がった史上最高のコンソメを、成帝は寝起きに、紅絹の玉座でゆるゆるとすすりながら、腰のあたりにどんよりと残っている甘い疲れに時折身じろぎしつつ、早くも今宵はどの娘を召し上げようかと、ものうげにあたりを見回していたのではあるまいか。
このスープには〔仏跳牆〕という名前がつけられている。あんまり旨そうなので、たまりかねた仏像が寺の塀をとび越えてきたというわけだ。
話かわって成帝は、数多い側室の中から趙飛燕を正妻に迎えているが、これは彼女の美貌もさることながら、象牙のようになめらかで、ミルク色に淡く輝く肌に惚れ込んだものだといわれている。
趙飛燕は7歳のときから海燕の巣のスープとナツメの実だけで成長したと伝えられるから、宝クジでも当てて、実験してみるのもおもしろいかもしれない。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。