国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」は、シンガー・ソングライターの井…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」は、シンガー・ソングライターの井上陽水の回が始まります。1948年、福岡県生まれ。本名は井上陽水(あきみ)。69年、アンドレ・カンドレの芸名でデビュー。72年に井上陽水(ようすい)の名前で再デビューし、以後、シングル「傘がない」(1972年)「夢の中へ」(73年)、アルバム『氷の世界』(73年)など日本の音楽史に名を刻む曲や名盤を発表してきました。2023年12月1日は、日本初のミリオンセラーLPレコード『氷の世界』発売からちょうど50年となります。第1回は「傘がない」や『氷の世界』に触れながら、陽水の魅力を解き明かします。
相当に歌の巧いシンガー
井上陽水は日本の音楽シーンの中でも、相当に歌の巧いシンガー・ソングライターだと思っている。井上陽水の歌には説得力がある。その歌唱が、彼の生み出すメロディーと出逢うと他に類を見ない独自の世界観を醸し出す。
まだニューミュージックやJ-Popという言葉が誕生していなかった時代に人気を得た井上陽水は“フォーク・シンガー”というレッテルを貼られていた時代もあった。しかし、ほぼ同時代の吉田拓郎や泉谷しげると異なり、彼は最初からサウンド構成に優れた。どちらかと言うとロック・ミュージシャンに近いスタンスを持っていた人だとぼくは思う。彼の最初期の名曲で1972年発表の「傘がない」は、明らかにスロー・ロックのサウンドだった。
ぼくが井上陽水を本格的に聴きこむようになったのは、「傘がない」が収録されたデビュー・ソロ・アルバム『断絶』(1972年)からだ。その音楽性は吉田拓郎や泉谷しげるなどといった同時代のフォーク勢より、当時ぼくがよく聴いていたはっぴいえんどなど、日本語ロックに近いフィーリングだと思った。
現代社会に暮らす人々の奥深くにある闇
「傘がない」は名曲だけあって、これまで様々な方が解釈を述べてきた。ぼく自身は「傘がない」はニヒリズムを基底としたメッセージ・ソングだと思う。現代社会に暮らす人々の心の奥深くにある闇を歌にしたと思っている。
1986年、初めて井上陽水をロング・インタビューした時に、「傘がない」とニヒリズムについて自分の意見を問うてみた。“そんなこと、あまり訊ねられたことはなかったけど、「傘がない」を作った頃は今よりずっとニヒリスティックだったとは思う”と語った。
日本初のミリオンセラー『氷の世界』
井上陽水の名が本格的に世間に認知されたのは1973年12月にリリースされたサード・ア ルバム『氷の世界』の大ヒットによる。『氷の世界』は日本初の100万枚突破~ミリオンセラー・アルバムとなった。長い間続いた職業作曲家・作詞家たちが築いてきた歌謡曲の時代が終わり、日本の音楽シーンが新たなフェーズに突入したことを『氷の世界』が証明したのだ。
“大学受験に失敗して、音楽で食べて行くしか道は無かった。アンドレ・カンドレという芸名で比較的早くデビュー (1969年)できたけど、御存知のようにまったく売れなかった。『断絶』だって最初は売れなかった。『氷の世界』がようやく売れて、4畳半のアパートから脱出できた。これで音楽で食っていけると確信できたのが一番嬉しかった”
井上陽水は幼ない頃からの音楽好きで、歌謡曲やアメリカン・ポップスを早くから聴き始めた。決定的な影響を受けたのは1964年に日本デビューしたザ・ビートルズだった。
“高校時代はビートルズに夢中だった。あまりに夢中になり過ぎて変人あつかいされたこともあったな。今でこそ(インタビューした1986年当時)、ビートルズが日本中を席巻して たみたいなイメージがあるけど、ビートルズにぼくみたいに夢中になる人間は、当時は少数派だったんです。ビートルズはぼくに曲作りのヒントみたいなものを与えてくれた”
ボブ・ディランに影響を受ける
もうひとり、若き日の井上陽水に影響を与えたのはボブ・ディランだった。
“ボブ・ディランは、音楽を作る上で何の制約がないということを教えてくれた。フォークソングを歌っていて、急にロックへ踏み込んで、それまでのファンから反発されたって何のその。ぼくの音楽は基本的に無節操なんだけど、それはディランからの影響かも知れない。やりたいことをやれなければ、ミュージシャンしてて楽しくないでしょ”
ザ・ビートルズにボブ・ディラン。影響を受けた海外、日本のミュージシャンは数多い。しかし細部を除けば井上陽水の音楽の表面上には直接的な影響は見られない。影響を意識の水面下に押さえて、唯一無二の独自な世界を築きあげた。そこが井上陽水の音楽の最大の魅力だとぼくは思っている。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。