館内に「男はつらいよ」シリーズのポスター、寅さんの部屋 赤ちょうちんが下がり、ノスタルジー感じる情緒ある石畳は、寅さん映画のロケ地にもなった。昭和57(1982)年に公開された第30作「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で映…
画像ギャラリー大分県の湯平(ゆのひら)温泉に、外国人客に人気の小さな温泉宿がある。世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「2024 トラベラーズチョイス ベスト・オブ・ザ・ベスト ホテル」(旅館部門)で全国2位になった「旅館 山城屋」だ。客室付きの風呂もなければ、絶景露天風呂があるわけでもない。小さな宿がなぜ外国人に受けているのか。館主の二宮謙児さん(63歳)にその理由を尋ねてみると、そこには「ないものを探すのではなく、あるものを生かす」「困っていることに手を差し伸べる当たり前の親切」といったおもてなしの哲学が垣間見えた。
宿のホームページの対応言語は驚きの「104言語」!
コロナ禍が明けると、2022年末ごろから、山城屋には以前と同じように連日、満室状態が戻ってきた。「インバウンドは儲かる」とばかりに値上げに踏み切る宿もあるが、ここは高級というわけではない。1泊2食付き1万9000円(入湯税別)〜で、等身大の日本らしさが体験できるという点が受けている。
この宿を訪れる客を国別に見ると、韓国からが圧倒的に多く6割、次いで香港、シンガポールと続く。「コロナ禍前まで来たこともなかったルーマニアやベラルーシといった、あまり馴染みのない国からもお客様が訪れるようになった」(二宮さん)。これには、コロナ禍前はホームページの言語が4カ国語表記だったのを、現在は104言語まで拡充したことも影響している。
リピーターが圧倒的に多い、「6回」訪れた客も
客の9割が外国人という旅館だが、インバウンド専門というわけではない。基本、「どこの国の人もウェルカム」のスタンス。もちろん、日本人客もいる。が、外国のお客さんは一度気に入れば、次は親を連れてきたり、友達を連れてきたりする人が多く、結果、海外からのリピーターが圧倒的に多くなった。
リピートの回数は、多い人で、6回にも上るという。
開湯は約800年前、500メートルの石畳が旅情をそそる
湯平温泉(由布市湯布院町湯平)は、“おんせん県”大分の中でも抜群の知名度を誇る由布院温泉から南に車で14キロほど走った山間にある。JR湯平駅からは車で約4キロほどだ。
開湯は約800年前。昭和40年代までは、それぞれの宿の中に温泉がなく、5つの公衆浴場に入りに行く「外湯文化」が残っていたのどかな温泉場だった。江戸時代に築かれた石畳の坂道が500メートルほど伸び、共同浴場の傍らに置かれた赤い丸型ポストがノスタルジーを誘う。
昭和47年創業、20年前に「外国人客を受け入れよう」
山城屋は昭和47(1972)年の創業で、初代が山から木を切り出す仕事をしていたことから、「山城屋」と命名された。石畳のメインストリートをさらに左手に上っていった一番奥にある。地上2階、地下1階の木造3階建ての小さな宿だ。
「外国人客を受け入れよう」。山城屋がこう決めたのは、平成16(2004)年ころ。湯平温泉は昭和40年代の高度成長時代後半までは芸者の置屋もあって、そのころ何もなかった由布院温泉と比べると、圧倒的に知名度が高かったという。
しかし、1990年代前半にバブルが弾け、21世紀が迫るころには逆転して、かなり客足が減っていた。「由布院のおこぼれが少しは来ましたがそれも土日に集中して、平日は開店ガラガラ状態でした」と二宮さんは振り返る。
当時は地元の信用組合の職員。会社勤めをしながら、休日は宿も手伝っていたが、主に宿を切り盛りしていたのは、妻である女将と大女将だった。
韓国の旅行会社が大分県の旅館のマッチングサイトを立ち上げた時は、「もしお客さんが来ていただけるんなら」と、いの一番で登録した。由布院エリアの登録宿はたった3軒で先行者利益があった。
口コミの旅行サイトで旅行先を決める訪日外国人客
外国語が特別に堪能だったわけではなく、むしろ、苦手。「最初は中学校レベルの英語で、片言に近かった」(二宮さん)が、海外からのお客様が増えてくるに従って、英語もレベルアップした。
「メールで毎日、やり取りをしていたら、どんどん上達していきました」
あるとき、イタリアからのお客さんに「何を見て、旅行先を決めるんですか?」と聞いたら、口コミ情報などもわかる旅行サイト「TripAdvisor(トリップアドバイザー)」だという。「口コミ」や「ブログでの拡散」などネットの威力を肌で感じ始めていた時期だったから、宿の規模は関係なく、口コミが良ければ、小さな宿でも上位に来ることを知って可能性を感じた。
そんなことで、まだ「インバウンド(訪日外国人客)」という言葉も一般的でなかった時代から、外国人客受け入れに取り組んだのが、山城屋がインバウンドに強くなった一因。「中途半端ではなく、やるならとことん」が二宮さんのモットーだ。
「言葉が通じない、知らない土地は不安」だから説明は親切に
筆者は、観光地でひたすら歩いている外国人を見かけると、「外国の人は、どんなに辺鄙な場所でも、情報を調べて、行きたいところにズンズン行くんだな」という印象をもっていた。
しかし、二宮さんによると、「知らない土地で不安に思っているのは、日本人も外国人も同じ」という。このため、客まかせにせず、山城屋では宿のホームページで、最寄り駅からのアクセスなどを事細かに紹介している。とくに、湯平駅は無人駅。2両編成の電車は降車時に前方の扉しか開かない。さらに乗車時にクレジットカードは使えても、IC乗車券の「Suica(スイカ)」は使えない。
日本人でもうまく降車できずに、次の駅まで行ってしまって涙声で電話をかけてくる人が多いので、言葉のわからない外国人であればなおさら。こういった困りごとを先回りして、動画を作って紹介する。「当たり前の親切」は、どこの国の人でも嬉しいもの。この「親切心」が外国のお客さんから支持されているポイントの1つ目だろう。
「困っているなと感じたら、お声がけをしています。相手の立場に立って考えるのは、万国共通で大切なことではないでしょうか」(二宮さん)
香港の雑誌に宿の「台所」が載った
山城屋が外国人客に受けている2つ目のポイントは、高級ホテルではなく、「リアルな日本」を垣間見られること。香港の雑誌に「台所」の写真が載り、リアルな日本を感じたくて、「みんな台所で撮りたがる」のだそうである。
海外からのお客さんを積極的に受け入れてきた影響で、二宮家の3人の子どものうち、二女と三女は10代で中国の大学に留学した。
わずか6室、館内の風呂はすべて「貸し切り風呂」という贅沢
ポイントの3つ目は「貸し切り風呂」だ。露天風呂2つ、内湯が1つ、陶器風呂が1つ。合計4つの風呂が、すべて貸し切り風呂として鍵をかけて入るスタイル。全6室にしては温泉の数が多いので、「貸し切り風呂が満員で入れない」ということはまずない。
「泊まる」だけでなく「モノを売る」おばあちゃんの「田楽味噌」
コロナ禍で、お客さんが来なくなった時に、「旅館が旅館業だけしていたらダメだ。何かモノを売らないといけない」と気づいた二宮さん。「そうだ、味噌があった」とおばあちゃんが作っていた味噌を売り出すことに決めた。こんにゃくや大根、焼き茄子につける「田楽味噌」である。
白味噌にみりん、酒、砂糖を入れて練り上げる田楽味噌は、日本の郷土料理。これを「大女将の秘伝の味噌」と銘打って、コロナ禍のときに商品化した。おばあちゃんは2023年に亡くなったので、「いまではレシピを残しておいて良かった」と思っている。
さらに、甘くした「黒田楽味噌」は焼き肉やスイーツとも好相性。訪れてくれた外国人客のリクエストに答えて、海外輸出も計画する。
館内に「男はつらいよ」シリーズのポスター、寅さんの部屋
赤ちょうちんが下がり、ノスタルジー感じる情緒ある石畳は、寅さん映画のロケ地にもなった。昭和57(1982)年に公開された第30作「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で映画に登場したのは、この石畳と湯平駅。この映画で田中裕子さんと沢田研二さんが訪れた「湯平荘」として映ったのは、「旅館 白雲荘」の外観部分だという。
山城屋は、同作の舞台ではないが、館主が寅さんファンだったことから、「男はつらいよ」シリーズの全ポスターを掲示。湯平温泉ゆかりの書籍や資料を個人的に集めていたことから、「寅さんの部屋」を設けている。
令和2(2020)年の豪雨による災害時には、同作の山田洋次監督をはじめ、出演者の沢田研二さん、田中裕子さんの直筆応援メッセージが書かれた等身大パネルも届き、温泉街の石畳入口に飾られた。
令和6(2024)年、山城屋にテレビ東京のバラエティー番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」の撮影隊が来た。本当は由布院温泉がゴールだったが、間に合いそうになくて、急遽、打診があったそうだ。
「本当は、うちはロケ地ではないんですが、スタッフの方がたまたま聞き込みをした民家の人がそう答えたそうで……。偶然に、何の予定もなく、(出演者の)出川哲朗さんが来ると聞いて、本当に驚きましたよ。しかも、共演の(女優でタレントの)井上咲楽さんは、お父さんが寅さんファンだったから『さくら』と名前がつけられたそうで。これも寅さんが連れてきてくれたご縁なのでしょう」(二宮さん)。
奇しくもロケの翌日は、秘伝の味噌を完成させたおばあちゃんが亡くなった日。その日は忘れられない1日になったとか。店主から、直接そんな話を聞けるのも小さな宿ならではの楽しみの一つだ。
「また来たよ」と言って気軽に訪ねたくなる宿
遠くにあって行きにくいけど、「また来たよ」と言って、気軽に訪ねたくなる。そんな宿のリストがあるとしたら、山城屋を真っ先に加えたい。
各地で外国語堪能なスタッフを置く宿も増えているが、「言葉に自信がないから、外国人客を受け入れるのは無理」と決めつけている宿もまだまだ多い。とくに山城屋のような家族中心の小さな宿にその傾向は強い。
そんななか、「やさしい日本語」と「笑顔」で肩肘張らない接客をして、お客様の信頼を得た山城屋。リアルな接客だけでなくITでの情報発信も駆使してお客様の「安心感」は「満足感」となり、さらにリピーターへとつながっていった。
「最高のおもてなしは、安心感から生まれる」と二宮さん。2024年に発刊した著書のタイトル通り、『山奥の小さな旅館に外国人客が何度も来たくなる理由』はそれだった。
【湯平温泉】
花合野川の渓流沿いにあり、江戸時代に造られた風情ある石畳に沿って宿や飲食店、共同湯がある。開湯は鎌倉時代とされ、猿が温泉に入っているところを、木こりが見つけた。かつて共同浴場は5つあったが、令和2(2020)年の九州豪雨で川べりの「砂湯」など3つが閉鎖となり、現在は「中の湯」「銀の湯」の2カ所のみ入れる。旅館は現在19軒。
【宿データ】
『旅館 山城屋』
住所:大分県由布市湯布院町湯平309−1
電話:0977-86-2462
泉質:単純温泉
アクセス:湯平駅から送迎車で約10分(要予約)
https://e-yamashiroya.jp
文・写真/野添ちかこ
温泉と宿のライター、旅行作家。「心まであったかくする旅」をテーマに日々奔走中。「NIKKEIプラス1」(日本経済新聞土曜日版)に「湯の心旅」、「旅の手帖」(交通新聞社)に「会いに行きたい温泉宿」を連載中。著書に『旅行ライターになろう!』(青弓社)や『千葉の湯めぐり』(幹書房)。岐阜県中部山岳国立公園活性化プロジェクト顧問、熊野古道女子部理事。