鉄道の「廃線」を巡る 終点は「雲上の楽園」といわれた東洋一の硫黄鉱山 観光客誘致にも力を入れた鉱山鉄道の光と影 #パスタ#岩手県#鉄道 記事に戻る 旧松尾八幡平駅構内の車庫跡地に「放置状態」で置かれていた松尾鉱業鉄道の車両。背景の山は岩手山=1986(昭和61)年5月18日、岩手県松尾村柏台(現・八幡平市柏台)、撮影/日比政昭今でも鉱山住宅(アパート)の廃墟が残る松尾鉱山跡地。この建物は、独身寮だった「桂寮」。なお、鉱山跡地は現在、治山事業のため「全域が関係者以外の立ち入りを禁止」している=1988(昭和63)年8月16日、岩手県松尾村緑ヶ丘(旧・元山/現・八幡平市緑ガ丘)鉱山鉄道の歴史は、馬鉄軌道と呼ばれる「馬が引くトロッコ」にはじまる=撮影年次不詳、岩手県松尾村(現・八幡平市)、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館「松紋様」をあしらった松尾鉱業の社紋。これを見て「松尾ジンギスカン」を思い出した方もおられることだろう=1988(昭和63)年8月17日、岩手県松尾村柏台(現・八幡平市柏台)蒸気機関車から電気機関車へと切り替わった「電化」を祝った記念列車=1951(昭和26)年、屋敷台駅(岩手県松尾村屋敷台/現・八幡平市柏台)、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館ありし日の屋敷台駅(のちの東八幡平駅)=撮影年次不詳、岩手県松尾村屋敷台(現・八幡平市柏台)、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館大勢の乗客で込み合う松尾鉱山鉄道の車内=撮影年次不詳、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館貨物が最盛期のころの硫黄鉱石を積んだ貨物列車=撮影年次不詳、岩手県松尾村屋敷台(現・八幡平市柏台)、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館廃山当時の松尾鉱山のようす=1972(昭和47)年10月、岩手県松尾村緑ヶ丘(旧・元山/現・八幡平市緑ガ丘)、写真提供/JLNA大更駅から1.5km地点の廃線跡に残されていた「勾配標」と呼ばれる鉄道標識=1986(昭和61)年5月18日、岩手県西根町田頭(現・八幡平市田頭)鉄道に電力を供給していた鹿野変電所の建物(中央)。この変電所の前を鉱山鉄道が走っていた。現在は周囲を樹木が覆っており、建物は発見しにくい=1986(昭和61)年5月18日、岩手県松尾村寄木(現・八幡平市松尾寄木)鹿野変電所前を通過する硫黄鉱石を運ぶ貨物列車=撮影年次不詳、岩手県松尾村寄木(現・八幡平市松尾寄木)、写真提供/八幡平市松尾鉱山資料館鹿野駅~東八幡平駅間の廃線跡。現在、この区間の一部は遊歩道として整備されている=1988(昭和63)年8月16日、岩手県松尾村寄木(現・八幡平市松尾寄木)旧機関庫に寄り添うように並べられた客車の廃車体=1988(昭和63)年8月16日、岩手県松尾村柏台(現・八幡平市柏台)松尾鉱山資料館に展示される凸型電気機関車ED251。車体色は現役当時のものとは異なる=2018(平成30)年9月17日、八幡平市松尾鉱山資料館(岩手県八幡平市柏台)、撮影/日比政昭「温泉バジル」を使ったジェノベーゼパスタ。このほかでは「ほろほろ鳥そば」も人気なのだとか=写真提供/松っちゃん食堂 記事に戻る 鉄道の終点は”雲上の楽園”といわれた東洋一の硫黄鉱山だった! 観光客誘致にも力を入れた鉱山鉄道の光と影