鉄道の「廃線」を巡る 葛生原人の街は石灰石とドロマイトの一大産地 「ガソリンカー」の愛称で親しまれた“鉱都”葛生の失われた風景 #栃木県#鉄道 記事に戻る 「原人のふるさと」と書かれた旧葛生町が設置した看板=2017年7月23日、佐野市葛生東唐沢鉱山軌道の路線概要図。保存車両の案内板より=2017年7月23日、佐野市葛生東旧葛生町を一望できる嘉多山公園から見た住友大阪セメント栃木工場の遠景=2017年7月23日、佐野市高砂町佐野市葛生化石館などが入る施設駐車場に展示されている唐沢鉱山軌道の車両たち。日立製10トン・ディーゼル機関車、3トン積み鉱車〔貨車〕、作業員などを乗せた人車の3両が大切に保存・展示されている=2017年7月23日、佐野市葛生東2つの交換所のほぼ中間地点で撮影した唐沢鉱山軌道。この写真に見る踏切の手前右側に祖父母の家があった=1975年3月15日、安蘇郡葛生町、写真提供/田中義人工場へと向かう石灰石を満載した鉱車を10両連結した列車。写真に見る線路上の奥に、山側の列車交換所があった。けん引は、東洋工機製の20トン・ディーゼル機関車=1975年3月15日、安蘇郡葛生町、写真提供/田中義人“生卵”を割ってしまった苦い思い出のある山側の列車交換所。手前の踏切は、国道293号線=1975年3月15日、安蘇郡葛生町、写真提供/田中義人ひとつ前の写真と同一地点の廃線跡。国道293号線を越えたところにあった山側の列車交換所付近を望む。線路跡の右側にある民家は当時と同じ場所に建っている=2017年7月23日、佐野市会沢町トップ画像とほぼ同じ地点を写した廃線後の姿。背景の山の形が変わっているのは、石灰石の採掘により山が削られたことによるもの=2004年3月19日、栃木県葛生町東武鉄道の貨物線「会沢線」が左側から接近し、唐沢鉱山軌道(右の軌道敷)と並走する地点を写した廃線跡。今でも両線の廃線跡は、はっきりとわかる状態にある=2004年3月19日、栃木県葛生町工場側の列車交換所へと向かう石灰石を満載した鉱石列車=1975年3月15日、安蘇郡葛生町、写真提供/田中義人ひとつ前の写真と同一地点を写したもの。工場側の列車交換所付近=2017年7月23日、佐野市会沢町唐沢鉱山軌道の軌道敷に埋設されているカプセルライナー。河川横断箇所では大型のパイプが顔をのぞかせる=2017年7月23日、佐野市会沢町 記事に戻る 轟音を立てて走り去る「ガソリンカー」の思い出 “鉱都”葛生の失われた風景で想像した45年前の走りを止めた日