アオガエルの愛称で昭和時代に活躍した東急5000形電車 40~63年前の写真とともによみがえる懐かしい沿線風景 #渋谷#目黒#蒲田#鉄道 記事に戻る 昭和30年代に撮影されたと思われる東横線桜木町駅に停車中の東急5000形トップナンバー。右隣りは3700形電車=撮影年次不詳、横浜市中区、撮影/葛 英一昭和30年代の横浜駅付近をゆく東急5000形電車。手前の貨物列車は国鉄線(現・JR横須賀線)の線路=撮影年次不詳、横浜市西区、撮影/葛 英一東横線菊名駅で並ぶ5000形(デハ5017)と6000形(デハ6009)=1963年6月9日、撮影/豊永泰太郎東横線自由が丘駅を発車し、渋谷方面へと走り去る5000形電車アオガエル=1963年6月9日、撮影/豊永泰太郎東急田園都市線たまプラーザ駅と4両編成時代の5000形電車=1976年頃、横浜市緑区(当時)、写真提供/電鉄急行目蒲線西小山駅から坂を下り、不動前駅へと向かう5000形電車。中央に写る「かまぼこ型」の屋根をした建物は、品川区立第4日野小学校の体育館=1980年11月16日、撮影/合葉清治東横線多摩川園前駅(当時の駅名)へと進入する5000形電車。右端に写る建物は、当時あった多摩川園遊園地の一部=1974年8月28日、撮影/豊永泰太郎かつては地上を走っていた東急目蒲線(→現・目黒線)大岡山駅と5000形電車。駅の後方に写る大きな三角屋根の建物は、東京工業大学の体育館(現存せず)=撮影年次不詳(1980年代)、撮影/菊池孝和地上線時代の大井町線大岡山駅に進入する二子玉川園(当時)行き5000形電車。左の線路は東急目蒲線(→現・目黒線)。このあたりは駅の地下化により大きく様変わりした=1974年8月28日、撮影/豊永泰太郎「さようなら5000形ごくろうさまでした」と書かれた惜別ヘッドマークを付けた5000形電車。目蒲線目黒駅で=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和古参の旧3000系列の電車よりも、先に引退を迎えた5000形電車。目蒲線目黒駅も地下化により目黒線へと生まれ変わり、この場所はオフィスビルに生まれ変わっている=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和地上時代の目蒲線目黒駅を発車してゆく惜別ヘッドマークを付けた5000形電車。このあたりは線路の地下化(目黒線)により廃線となっているが、その一部は道路に沿うかたちで今も目蒲線の線路跡を見ることができる=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和上田交通への譲渡を前に古巣の目蒲線奥沢検車区で整備を行う上田交通カラーを身にまとった5000形電車。現在この場所には、電車の留置線が拡がっているが、昭和の時代は木造の検車庫が建っていた=1986年、世田谷区奥沢、撮影/菊池孝和長野電鉄で活躍していたころの元・東急5000形電車。夜間瀬川橋梁で=1992年5月、長野県山ノ内町、写真提供/電鉄急行長野電鉄向けに車両改造を行った際は、「アカガエル」の姿で試運転を行ったこともあった。田園都市線南町田駅で=1985年9月、町田市鶴間、写真提供/電鉄急行東急から上田交通(当時)へ譲渡されたのち、再び東急へと里帰りしたものの、その後、東急車輛製造での保存を経て、カットボディ―となって渋谷駅前ハチ公ひろばに展示されていたころの5000形電車。この写真を撮影したときは、車体にハロウィンの装飾が施されていた=2016年10月、渋谷区道玄坂、写真提供/電鉄急行 記事に戻る アオガエルの愛称で昭和時代に親しまれた東急5000形電車 40~63年前の写真とともによみがえる懐かしい沿線風景