昭和の一時代、銀色に輝く電車が多数を占め、鉄道ファンからは「ステンレスカー王国」と呼ばれていた東京急行電鉄の電車たち。鉄道車両の歴史的転換期ともいわれた時代に登場したのが、アオガエルの愛称で親しまれた東急5000形電車だった。車体構造に航空機の技術を取り入れた超軽量化されたその車体は、卵型の丸みを帯びた流麗なフォルムにライトグリーンを身にまとい、東急東横線のイメージアップに一役かった電車でもあった。すでに東急線から姿を消して40年の歳月が経過した今、人々の記憶からも消し去られていることだろう。鉄道写真に見る懐かしい風景とともに、青ガエルの歴史を振り返ることにしたい。
※トップ画像は、引退を前に東急目蒲線(現・東急多摩川線)で活躍していたころの「アオガエル」こと5000形電車。多摩川園~沼部駅間で=1986年、大田区田園調布本町、撮影/菊池孝和
鉄道史に輝く高性能電車
丸みを帯びた車体にグリーン一色を身にまとったその姿から、いつしか「アオガエル」の愛称で呼ばれるようになった電車があった。1954(昭和29)年から1959(昭和34)年までの間に、105両が製造された東急5000系電車だ。車体構造に航空機の技術を取り入れた張殻構造と超軽量化されたフォルムは、高性能で静かな走行音とライトグリーン(登場時)に塗られた車体カラーに明るい室内が評判を呼び、東急東横線のイメージアップと車両技術史に大きく貢献した戦後の革新的な高性能電車でもあった。
車両の正面は2枚窓の流線形で、その断面は卵型という独特のデザインで、設計は系列会社だった東急車輛製造(→現・総合車両製作所)が担い、電機品はすべてが東芝が請け負った。軽量化による電力消費の抑制とともに、エコノミカルカーとしての一面も持ち合わせた未来志向の電車だった。
デビュー当時は3両編成であったが、東横線の利用客増加とともに4両、5両、6両と車両を増やし、東横線の主力車両として活躍した。その後、1970(昭和45)年からは順次、田園都市線(のちの大井町線)へと舞台を移し、さらに目蒲線ではデビュー当時もなつかしい3両編成となって1986(昭和61)年まで活躍し続けた。
















