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32年の歴史に幕、さようなら5000形

デビューから32年が経過した1986(昭和61)年になると、アオガエルこと5000形電車は、惜しまれつつも東急線から姿を消した。最後期のころは、東急目蒲線に配置されていたが、大井町線から冷房付きのステンレスカーが転入してきたことで、同年6月18日を最後に営業運行を終了した。同じ目蒲線や池上線を走っていた最古参の3000形系列が、まだまだ現役だったのをよそ眼に、惜しまれつつの引退だった。

5000形車両は、その使い勝手の良さもあり、早い時期から地方交通路線への“転職活動”が行われていた。1977(昭和52)年には長野電鉄、以降、岳南鉄道、松本電気鉄道(→現・アルピコ交通)、上田交通(→現・上田電鉄)、熊本電気鉄道、福島交通へと嫁いでいった。

すでに、これらの車両も引退が進み、今となっては熊本電気鉄道、総合車両製作所(→元・長野電鉄の車両、機械遺産第128号)、秋田県大館市「秋田犬の里」(→元・上田交通の車両※カットボディ)のほか、民間団体による保存(→元・アルピコ交通の車両)の4か所でしか、見ることができない。

昭和の時代、バイト帰りに大井町線に乗ると、アオガエルに当たることが多かった。最期に乗り納めしようと目蒲線に足を運んではみたものの、出会えずじまいだったことを懐かしく思いだす。

「さようなら5000形ごくろうさまでした」と書かれた惜別ヘッドマークを付けた5000形電車。目蒲線目黒駅で=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和
古参の旧3000系列の電車よりも、先に引退を迎えた5000形電車。目蒲線目黒駅も地下化により目黒線へと生まれ変わり、この場所はオフィスビルに生まれ変わっている=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和
地上時代の目蒲線目黒駅を発車してゆく惜別ヘッドマークを付けた5000形電車。このあたりは線路の地下化(目黒線)により廃線となっているが、その一部は道路に沿うかたちで今も目蒲線の線路跡を見ることができる=1986年、品川区上大崎、撮影/菊池孝和
上田交通への譲渡を前に古巣の目蒲線奥沢検車区で整備を行う上田交通カラーを身にまとった5000形電車。現在この場所には、電車の留置線が拡がっているが、昭和の時代は木造の検車庫が建っていた=1986年、世田谷区奥沢、撮影/菊池孝和
長野電鉄で活躍していたころの元・東急5000形電車。夜間瀬川橋梁で=1992年5月、長野県山ノ内町、写真提供/電鉄急行
長野電鉄向けに車両改造を行った際は、「アカガエル」の姿で試運転を行ったこともあった。田園都市線南町田駅で=1985年9月、町田市鶴間、写真提供/電鉄急行
東急から上田交通(当時)へ譲渡されたのち、再び東急へと里帰りしたものの、その後、東急車輛製造での保存を経て、カットボディ―となって渋谷駅前ハチ公ひろばに展示されていたころの5000形電車。この写真を撮影したときは、車体にハロウィンの装飾が施されていた=2016年10月、渋谷区道玄坂、写真提供/電鉄急行
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

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