あいにくの雨だったが、しっとりとした街並みが旅情を増していたかもしれない。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の東端にある御手洗(みたらい)は、江戸時代に北前船の中継港として大いに栄えた地区。当時の町割りや建物が今も残り、1994年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。9月末の視察旅行で初訪問したこの町の魅力を紹介したい。
風待ち、汐待ちの港が見てきたもの
御手洗が港町として繁栄の緒についたのは、江戸時代の前半。それまで瀬戸内海を東西に進む船は陸地沿いに港町から港町へと移動していたが、船造りや航法の進化によって沖合を一足飛びに進む「沖乗り」航路が誕生。ただし沖乗り航路は風向きや潮の流れの影響を受けることから、その変化を待つための港が必要となり、穏やかな入り江を持つ御手洗は風待ち、汐待ちの港として発展した。
港には諸藩に指定された船宿が並び、商家や茶屋、遊郭も繁盛。異国の使節や文人たちもこの町に立ち寄ったといい、そうした船宿のいくつかは今も建物が残りカフェや宿泊施設として営業。また海辺には、大坂の豪商・鴻池家が1828年に寄進した住吉神社も。大阪の住吉大社本殿の2分の1のサイズで創建され、現在も街と港を見守っている。
さらに、御手洗は幕末にも顔を出す。長州と芸州が倒幕を密約した「御手洗条約」が交わされた場所となったほか、坂本龍馬や吉田松陰、大久保利通らも滞在した記録が残っているという。
船宿と商家が語る、港町のにぎわい
御手洗の町を歩くと細い路地が網の目のようにめぐり、そこに往時の繁栄を感じさせる建物が並ぶ。例えば薩摩藩の船宿だった「脇屋」や、宇和島藩と大洲藩の船宿だった「若本屋」、町年寄役を務めた高橋家の別宅で伊能忠敬も泊まったとされる「旧柴屋」などが、現在も江戸の頃の趣きを伝えている。
このうち「若本屋」は現在は船宿カフェ「若長」として営業しており、島の特産であるレモンやみかんを使ったジュースやスイーツを提供。今回の視察でも立ち寄って筆者は「レモンぜんざい」をいただいたが、レモンの果肉や果汁は使わず皮だけを配することでぜんざいの小豆の香りにレモンのほのかな芳香が爽やかさを加え、想像以上の相性となっていた。



























