本宮から山を越えて1時間、開湯1800年の日本最古の温泉、湯の峰温泉には、世界でも珍しい「入浴できる世界遺産」がある。その名は「つぼ湯」。浸かれる世界遺産を堪能してきた!全3回で紹介してきた熊野古道「中辺路」の旅路の最後は、参拝後はお湯とお水の世界遺産へ、湯の峰温泉熊野川川下りまでをお届けする。
【白石あづさのワンダートリップ】
全国の不思議な町を訪れる連載の第3回目は、世界遺産の熊野古道、和歌山南部を横断する参詣道「中辺路」を訪れました。紀伊田辺~新宮までの旅を前編としてご紹介します。
地獄に落ちた餓鬼阿弥も黄泉がえる?開湯千八百年の温泉郷へ
浸かれる世界遺産!?
受付でチケットを買い、川沿いの湯の小屋へと向かうと運よくひと組待ち。5分後、男性客が「あちぃ、水で薄めときましたよ」と手で顔をパタパタと仰いで出てきた。
小屋に入れば天然石の岩をくり抜いたふたりくらいしか入れない、まさに「つぼ」から93度の源泉がボコボコと噴き出している。まだまだ熱くて1分と入っていられないが不思議と肌は翌日までしっとり。やせ我慢してもっと長く世界遺産に浸かれば美人になれただろうか。
昔から巡礼者は本宮に参拝する前に垢を落とす「湯垢離(ゆごり)」をしたそうだ。もしかしたらこのつぼ湯に歴代の上皇や戦国武将たちもザブンと身を沈めたかもしれない。
15世紀の小栗城の城主、小栗助重をモデルに創作された「小栗判官物語」にもつぼ湯が登場する。恋した姫の義父に毒殺され地獄に送られた小栗を、お人好しの閻魔大王は娑婆に戻してやる。ただし世にも恐ろしい餓鬼阿弥の姿で。多くの人たちの手を借り、つぼ湯に到着した小栗、お湯に浸かるとイケメンに元通り。姫と再会を果たすというまさに「黄泉帰り」の物語だ。
奇想天外な話だけど、小栗のように蘇りたいと願う病を抱えた人も熊野に来ていたのかもしれない。実際に大正時代にはハンセン病患者が逗留していたという。高貴な人も病気の人も等しく迎え入れたこの小さな温泉郷には温かい人間模様が詰まっている。
「黄泉の国」の旅の終わりは、深い霧と緑の水。不思議な顔の岩も待っている
大復活した川の参詣道
本宮のそばを流れる熊野川はかつて熊野詣の大動脈だった。平安貴族たちは上流の本宮から下流の速玉大社までの40キロを結ぶ舟下りを楽しんだ。長らく忘れられていたが、「川の参詣道」として世界遺産登録された翌年、舟下りが復活。今は葵の滝の手前から16キロを90分かけて下る。

舟の帆先に腰かけた語り部の吉川さんに「英語わかりますか?」と聞かれてキョトン。振り向けばここでも私以外は二艘とも全員海外の人。お客さんがいつしかほぼ外国人となり、やむにやまれず英語を覚えたそうだが、美しい発音とその努力に頭が下がる。
霧が立ち込め旅一番の黄泉っぽさが漂う中、緑に囲まれた谷川の水面をスルスル滑るように小舟が進む。イルカ石や釣鐘石、熊野権現と天照大神が囲碁で遊んで昼食を食べたという昼嶋を過ぎると、川幅が広くなり御船祭が行われる御船島が。終着点の権現川原の先に見える水門の外は、もう世界につながる太平洋だ。
あらゆる宗教を超え、今日も熊野古道には旅人が世界中からやってくる。千年もの間、性別や宗派、身分や貧富の差も問わず誰でも受け入れてきた。熊野の人は一期一会のもてなしのために変化を恐れず自ら学び楽しんでいる。
その姿に感化され旅から戻れば、変化を恐れて固まっていた心と頭もリニューアル。古い価値観は粗大ごみにでも出そう。蘇ることができたか分からない。けれど、黄泉の国への旅で、何か大事なものに触れたのは確かだ。
写真・文/白石あづさ…大学卒業後、地域紙の記者を経て約100か国3年間の世界一周後、フリーに。著書に『逃げ続けていたら世界一周していました』(岩波書店)、『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(辰巳出版)、『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』(文藝春秋)、『世界のへんな肉』(新潮社)ほか
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。
※画像ギャラリーでは、和歌山県・熊野古道の画像をご覧いただけます
※月刊情報誌『おとなの週末』2026年8月号発売時点の情報です。

■『おとなの週末』2026年10月号は「いま飲みたい焼酎96本」












