小説『バスを待つ男』や、講談社の「好きな物語と出会えるサイト『tree』」で連載中のエッセイ『日和バス 徘徊作家のぶらぶらバス旅』など、作家生活25周年を迎えた西村健さんは、路線バスをテーマにした作品の書き手としても知られています。「おとなの週末Web」では、東京都内の路線バスを途中下車してふらり歩いた街の様子と、そこで出会った名店のグルメを紹介します。
画像ギャラリー東京・東部の交通の要衝「錦糸町」 23本もの系統・路線が発車!
錦糸町(きんしちょう)は東京都東部の交通の要衝だ。鉄路だけでなくバス路線がとにかく充実。ざっと数えてみたところ、23本もの系統・路線が駅前から発車している。故に拙著『バスを待つ男』(実業之日本社文庫刊(講談社じゃなくてゴメンナサイ汗))の主人公は、ここに住んでいる設定にした。
……なぁんてエラそうに言ってみたが、いざ来てみたら乗るつもりだった都バス「上26」系統の乗り場がない。見当たらない!
慌ててスマホで路線図を呼び出し、確認してみたら、「上26」が出るのはお隣の亀戸(かめいど)駅前でした。ショック――
まぁ、仕方がない。どっかで乗り換えるしかない。
ふと見ると目の前から、「錦37」系統が発車するところ。これ、押上(おしあげ)駅を通る。
じゃぁ「上26」に乗り換えられるな、と急いで飛び乗った。
「上26」に乗り換え 上野方面へ
駅北口のロータリーを出ると、四ツ目通りをひたすら北上。ずっと乗っていれば葛飾区の「青戸(あおと)車庫」まで行くが、押上駅前のロータリーで下車した。東京スカイツリーと、足元の商業施設「東京ソラマチ」前をひたすら歩いて、「とうきょうスカイツリー駅前」へ。本数が少ないのでちょっと待たされたが無事、最初の目的だった「上26」に乗り換えることができた。ホッ……
「上26」系統はスカイツリーの足元を離れると、言問(こととい)通り沿いにずっと走って陸橋でJRの線路を跨ぎ、根津(ねづ)で不忍(しのばず)通りに左折して、上野に向かう。
だがここでも、終点までは乗らない。「入谷鬼子母神(いりやきしもじん)」バス停で途中下車した。別にお参りがしたいわけではない。ここには、元祖カツカレーの店「河金(かわきん)」があるのですよ。
カツ丼のルーツに思いをはせる
手元の『ベストオブ丼』(文春文庫ビジュアル版)及びネットで得た情報を参照すると、我が国におけるカツ丼の発祥には諸説ある。大正10(1921)年、早稲田高等学院の学生、中西敬二郎(けいにろう)さんが考案した、というのが定説になっていたが、『ベスト〜』では大正2(1913)年、早稲田鶴巻町(つるまきちょう)の食堂の主人、高畠増太郎さんが東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露したのが始まり、との説を挙げている。なお、このお店は現在、福井で「ヨーロッパ軒」として数店舗を展開し、地元で根強い人気を誇っている。
カツ丼と言えばこれらソースカツ丼ではなく、丼飯の上に卵とじトンカツを載せたものが我々の頭にポッと浮かぶが、これの元祖はこれまた早稲田にあった蕎麦店「三朝庵(さんちょうあん)」(2018年、惜しまれつつ112年の歴史を閉じた)だったとされる。この料理が生まれたのは大正7(1918)年頃というが、正確なところは分からない。
ところが、ですよ。この入谷の「河金」、ここも大正7年に浅草で、トンカツやカレーを出す屋台として始まったんだけど、名物の「河金丼」はカツカレー丼なのだ。つまり前掲のカツ丼発祥の諸説と遜色ないことになる。もしかしたらこのカツカレー丼こそ、我が国におけるカツ丼の隠れた元祖かも知れないのだ。どうです。俄然、興味が湧くでしょう?
入谷の鬼子母神にお参り 実は「恐れしたや」?
まぁでもせっかく来たんだから、まずは「入谷の鬼子母神」こと「真源寺(しんげんじ)」にお参り。
鬼子母神は元々インドの夜叉神の娘で、一説には500人とも1000人ともいう、とにかく多くの子供を産んだ。ところが性格は暴虐そのもので、これだけの子供を育てるには栄養が要るということで人間の幼児を捕らえては、食べていた。
見兼ねたお釈迦様は過ちを正してやろうと、鬼子母神の末の子供を隠してしまう。彼女は半狂乱になって世界中を捜し回るが、7日間かかっても見つからない。とうとう釈迦に許しを請うた。
「1000人の子供を持ちながら中の一人を失っただけで、お前はそれだけ嘆き悲しんでいる。ならばお前のせいで、ただ一人の子を失った親達の悲しみはいかばかりと思うか」
釈迦に諭され、自らの過ちを悟った鬼子母神は以降、仏法の守護神となり子供や安産の守り神となった、という。
ここは江戸時代、地名と掛けて「恐れ入りやの鬼子母神」として親しまれた。ただし実は、住所的には台東区下谷(したや)に当たるんだって。「恐れしたや」じゃシャレになりませんもの、なぁ。役所も住所を割り振る時、もうちょっと融通を利かせてくれればよかったのに。
寅さん所縁の小野照崎神社へ
ただこの地に来たらもう一つ、行っておいた方がいい場所がある。それが、ここ。小野照崎(おのてるさき)神社。境内の富士塚(富士山に見立てた人工の山)も有名だけど、何とここ、「寅さん」所縁の神社でもあるのですよ。
俳優、渥美清がまだ売れなかった頃、ここに熱心に参拝し「大好きなタバコも断ちますから、仕事を下さい」と願を掛けた。そうしたら本当に数日後、「寅さん」のオファーが来たのだという。渥美清は心から感謝して以降、ここのお守りをずっと大切にしていた。そう、寅さんがいつも首から提げていたのは実は“産湯を使”った帝釈天ではなく、このお宮のお守りだったんですね(笑)。
100年の歴史と重み カレーが掛かってるのにカツの衣はサックサク
まぁ寄り道はそのくらいにしていよいよ、念願の「河金」へ。知らなきゃ絶対、入りそうもない裏路地にポツンとお店はある。実はここも、住所的には下谷に当たるらしい。
もう、本当に普通。どこにでもある町のトンカツ屋さんにしか見えませんよねぇ。とんでもない由緒があるお店なのに、威張ったようなところが微塵もない。これだけでもう好感、満点です。
中は小ぢんまりした店内で、テーブル席が2つと、小上がり席が2つだけ。壁のあちこちに手書きのメニューが貼り出してあり、飾りっ気が全くない。これまた好感度、充分。あれもこれも食べたくなるところだけど、ここは初心貫徹、で河金丼(750円)を注文します。
すると、出て来たのが、これです――
いやぁ、たまりませんよねぇ。
たっぷりカレーが掛かってるので、載ってる具材が何かも見えないくらい。カツの下には刻みキャベツが敷かれてて、ここはカツ丼風。ところが脇に福神漬けも添えられてて、こっちはカレー風、ですね。両方の折衷、のようなニュアンス。
おまけにスプーンかと思ったら、これ、フォークでした。確かにカレー皿にカツカレーならフォークとスプーンだけど、丼飯ではあまり体験することないですよねぇ。あちこちオリジナリティ溢れる一品です。
食べてみると、これだけカレーが掛かってるのにカツの衣はサックサクの歯触りを維持。カレーは、小麦粉を炒めた昔風の味で、そうそうこれこれ、と私らの年代は言いたくなる。子供の頃、食べたカレーってこうだったんですよねぇ。スパイスの香りを効かせて、なんて本格インド風などなどが出て来たのは、ずっと後のことで。
いやぁ〜、店構えから味から、全てが懐かしい。100年の歴史の重みがあるのに、それを全く感じさせない。あっさりふんわり、包まれるような味。逆にこれ今時、貴重ですよ!
あっという間に完食でした。
身体が喜んでるのが分かる美味しさでした。大満足。ご馳走様っ!!
「河金」の店舗情報
[住所] 東京都台東区下谷2-3-15
[電話]03-3873-5312
[営業時間]11時~14時、17時~19時半
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、営業時間や定休日は異なる場合があります。
[休日]土曜
[交通] 地下鉄日比谷線入谷駅2番出口から徒歩約1分、JR山手線鶯谷駅南口から徒歩約6分
西村健
にしむら・けん。1965年、福岡県福岡市生まれ。6歳から同県大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。労働省(現・厚生労働省)に勤務後、フリーライターに。96年に『ビンゴ』で作家デビュー。2021年で作家生活25周年を迎えた。05年『劫火』、10年『残火』で日本冒険小説協会大賞。11年、地元の炭鉱の町・大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞を受賞し、12年には同作で吉川英治文学新人賞。14年には『ヤマの疾風』で大藪春彦賞に輝いた。他の著書に『光陰の刃』『バスを待つ男』『目撃』など。最新刊は、雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編『激震』(講談社)。
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