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1985年暮れ、FMヨコハマが開局 元ニッポン放送の敏腕ディレクターが編成課長に

FM多局化という時代があった。その始まりは1985年だった。それまで日本の民放FM局は、一エリア一局だった。関東地方ならFM東京、大阪を中心とする近畿地方はFM大阪といった具合だ。それが1985年12月20日にFMヨコハマが開局すると、一県一局が次々と広がっていったのだ

1985年ころのぼくの仕事は、音楽に関することを執筆するのを中心に、FM番組の選曲や構成も手掛けていた。FMヨコハマの開局前の6月、元ニッポン放送の敏腕ディレクターだったM氏が編成課長に就任した。出身が横浜だったので、ニッポン放送を辞して地元のFM局に就職したのだ。

ニッポン放送では部長をされていたから、格下げ人事になる職変えだったが、そんなことより地元のFM局をどう育ててゆくのかの情熱の方が大きかった。

柳ジョージのアルバムの数々

ジョーさんに了解を得ていなかった番組企画書

旧知のM氏に依頼されて12月20日の開局に向けて番組企画書を何本か提出した。その内の一本が地元、横浜を愛してやまない柳ジョージをDJに起用するというものだった。それまで他局でDJをしていなかったし、知名度抜群の柳ジョージ~ジョーさんの好感度は高く、M氏もすぐにO.K.を出してくれた。

実はこの時点ではジョーさん本人にもオフィスにも出演の了解を得ていなかった。地元横浜初のFM局だし、ミュージシャンとしてプロモーションにおいてメリットがあるのだから、二つ返事で引き受けてもらえると思っていた

柳ジョージが最近人気のヒット・ポップスを語る、そんな企画内容だったと思う。それを、ジョーさんを育てあげたマネージャー氏にFAXで送った。まだパソコンの無い時代だった。FAXを送信して2、3日してマネージャー氏から電話があった。本人はDJをやりたくないと言っている、でも事務所としてはやってもらいたいので、岩田さん、柳と会って話してみて下さいという内容だった。

その後すぐにジョーさんと横浜のバーで会った。まだジョーさんはシラフだった。“岩田さんの俺を思ってくれる気持ちはありがたいけど、ライヴのMCだって苦手なのに、とてもラジオでなんか喋れない”と彼は切り出した。これは大変な事になったとぼくはあせった。もう企画書を通してしまったのだ。

“別に誰かに向けて喋るって意識しないでいいんです。ジョーさんの独り言を皆は聴きたいんです”

そう説得しても首を縦に振ってもらえない。酒のピッチだけが上がってゆく。それに連れて、ジョーさんの口調も滑らかになっていった。根が優しいジョーさんは余りにぼくが説得するので、ついには“岩田さんがそんなに言うんだったらやるよ”と応じ、ぼくは粘り勝ちした。酔って言ったことでも必ず約束は守る。ジョーさんがそういう人だったからだ。

ハスキーな歌声が魅力だった

「人様の曲をあれやこれや言いたくない」 さらに出演条件がひとつ……

それからまた数日して、今度はジョーさんのオフィスのあった六本木で会った。酔って引き受けてしまったことは、マネージャー氏がジョーさんに伝えていた。ジョーさんは何とも決まり悪そうな顔で、コーヒーを飲んだ

“やるって言っちゃったんだから、やらせてもらいます”

ぼくはホッとした。

“だけど人様の曲をあれやこれや言いたくないんです。だから企画書は変えて欲しいな”

ではどういう企画なら大丈夫なのか、ジョーさんに訊いた。

“自分の好きな古いR&Bやスタンダードを紹介する。流行の音楽は意識しない。それと男の曲が中心で、女性ヴォーカルはビリー・ホリディとかアレサ・フランクリンくらいでできるだけ少なめにしたい”

それともうひとつ条件があった。

“自分が喋る時は、岩田さんに前に座っていて欲しい。何か失敗しそうだったり、変なことを言いそうになったらストップをかけてもらいたいから”

企画書は書き変えた。FMヨコハマのM課長も柳ジョージらしくて面白いと言ってくれた。そうして始まったのが、「コンバーチブル・ヨコハマ」という番組だった。オープンカーを意味する“コンバーチブル”は、クルマ好きだったぼくとジョーさんの考えたものだ

ジョーさんが逝って丁度10年。今でもぼくのSNSに命日のころ、「コンバーチブル・ヨコハマ」を聴いていたというファンの声が届く。

“泣きのギター”で多くのファンを魅了した

岩田由記夫

岩田由記夫

1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo」で、貴重なアナログ・レコードをLINNの約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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岩田由記夫
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