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『おとなの週末Web』では、グルメ情報をはじめ、旅や文化など週末や休日をより楽しんでいただけるようなコンテンツも発信しています。国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回は、1970年代に「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成し、「雨に泣いてる…」などのヒットで熱狂的な人気を誇ったロック歌手でギタリストの柳ジョージ(1948~2011年)です。「和製エリック・クラプトン」とも称され、影響を受けたミュージシャンは少なくありません。

「雨に泣いてる…」が大ヒット、全国区の人気ミュージシャンに

柳ジョージが63歳で逝って、この10月で10年になる。いまだに彼の残した音楽は、多くのファンの心を捕え続けている。

2歳年上の柳ジョージと初めて逢ったのは、1970年代初頭、日比谷野外音楽堂の楽屋だった。当時の彼は、ゴールデン・カップスの一員としてベースを担当していた。年下の者は“ジョーさん”と呼んでいて、2歳年下だったぼくもそのように呼んだ。年下なのに岩田さんと呼んでくれて、それは生涯続いた。

ゴールデン・カップス以降、しばらく会社員をしていた。そんな彼が業界で注目されるきっかけとなったのは、友人だったストロベリー・パスの成毛滋に誘われて渡英し、帰国後のことだ。

1975年、帰国したジョーさんは、柳ジョージ&レイニーウッドを結成する。その後、友人だったショーケンこと萩原健一の推薦で、彼の主演したテレビ・ドラマ『死人(しびと)狩り』(1978年12月~79年1月)のテーマ曲を担当。そのテーマ曲「雨に泣いてる…」は大ヒットとなり、柳ジョージの名は全国区となった

柳ジョージのアルバムの数々

横浜・本牧のバーで聞いた胸の内「何でお前らは黙って俺に音楽だけを演らせてくれないんだ」

「雨に泣いてる…」が大ヒットした1979年、ぼくは六本木で、ジョーさんと再会した。ゴールデン・カップス時代からそうだったが、とにかく恥ずかしがり屋で、人に心を開くのが苦手な人だった。

インタビューが始まっても、ぼくの質問に“ええ”とか“そうですね”としか答えてくれない。旧知の彼を育てあげたマネージャーが、酒を飲めば話すからと言ってくれた。ぼくたち3人は、タクシーを飛ばして彼の本拠地、横浜は本牧のバーへ場所を変えた

ジョーさんは嬉しそうにサントリー・オールドのオン・ザ・ロック、ぼくとマネージャー氏はコーラを飲んだ。5杯くらい、ジョーさんがオン・ザ・ロックを飲み終えたころ、口調がなめらかになった。ぼくたちは、日比谷野音や10代の頃の横浜の思い出話をした。ウィスキーが進むと“岩田さん”が“岩田”に代わり、“ぼく”が“俺”に代わってきた。

“昔の本牧は海がきれいだったんだよ。俺が子供の頃は、海にもぐって、伊勢海老をよく獲ったんだ”。という回想話が始まった頃には、10杯のオン・ザ・ロックが消え、ダブルのストレートに代わっていた。

“俺はねぇ、ただ音楽だけをやっていたいんだよ。インタビューなんて糞くらえってんだ。岩田~、お前もだよ。評論も糞くらえっていうの。何でお前らは黙って俺に音楽だけを演らせてくれないんだ”

それはスターの孤独な本音だったと思う。売れたことによって、マスコミはあれやこれやと柳ジョージについて書く。インタビューワーは、ヒットの秘密を探ろうとする。そのどれもが柳ジョージの本質を壊そうとしている。ジョーさんにはそう思えたのだろう。

ハスキーな歌声が魅力だった

酒、音楽と一生を過ごした人

飲むと人が変わる。ジョーさんは、その典型だったと思う。シラフでは人との距離が掴めないのだ。酒、音楽と一生を過ごした人だった。また淋しがり屋なのに孤独とおりあいをつけるのも苦手な人だった。

柳ジョージのステージを観たことがある人は、華麗にギターを弾き、歌うジョーさんが気の小さい人だったことを知らないだろう。

1980年代のある時、ライヴのプレッシャーからステージを放棄したことがあった。明日のライヴを控えて、緊張から深酒をしてしまったのだ。飲みに飲んで、起きたのは横浜は黄金町の路上だった。日付は変わり、リハーサルの時間も過ぎていた。スタッフは必死でジョーさんを捜していた。その日のステージ、ジョーさんはギターを持たずに聴衆の前に姿を現した。そして、土下座をしてファンに今日のライヴはできないと謝ったのだった

さすがにこの“ライヴ事件”以降は、ステージの前日は酒量を減らすようになった。マスコミとの対応もそれなりに慣れていった。ぼくは初めてのインタビュー以降、50回は彼と逢った。ジョーさんの人柄に惚れたのだ。妙にマスコミずれした現在のミュージシャンと違って、ジョーさんは昭和の男だけが持っていた魅力があった

“泣きのギター”で多くのファンを魅了した

岩田由記夫

岩田由記夫

1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo」で、貴重なアナログ・レコードをLINNの約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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岩田由記夫
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