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鉄道路線のなかに、マニアックな名前の路線があることを意識されたことはあるだろうか。品川駅(東京都港区)、大崎駅(品川区)、西大井駅(品川区)を三角形のような線形で結ぶJRの路線は、いわゆる本線ではない。その路線にはそれぞれ名前がついているが、日常会話のなかで、そのような路線名が出てくるはずもない。具体的には、品鶴線(ひんかくせん/品川駅~西大井駅間)、大崎支線(おおさきしせん/大崎駅~西大井駅間)、そして、唯一理解を得られるのが山手線(大崎駅~品川駅間)だろう。そんな何気なく乗車している品川区を走る“裏方路線”の世界へと誘うことにしよう。

※トップ画像は、品川区内の閑静な住宅街のなかを走る東海道貨物線(品鶴線)の「大崎支線」をゆく湘南新宿ライン=2021年3月10日、品川区西品川

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品川区を走る短絡線のはじまりは125年前

山手線がまだ、日本鉄道という私鉄路線だった1901(明治34)年のこと、田端・池袋・新宿方面から東海道線の川崎・横浜方面へと抜ける山手線の支線が、大崎駅(現・山手線)と大井町駅(現・京浜東北線)の間に開通した。当時の東海道線は、国鉄や鉄道省でもなく、鉄道作業局という逓信省の外局が管轄する路線だった。当時はまだ大井町駅がなかった時代である。

山手支線(通称・大井連絡線)が開通すると、現在の大井町駅のところに「大井連絡所」という信号扱い所のような施設が設置される。その後、1914(大正3)年12月に現在の京浜東北線の前身となる「京浜線」が東京駅~高島町駅(旧東横線高島町駅のあたりにあった駅)が開通した時に、現在ある大井町駅も誕生し、大井連絡所は廃止された。

山手支線は、京浜線の線路を横断するように東海道線の線路に接続していたこともあり、その後の1916(大正5)年に廃止されてしまった。廃止後は、大井工場(現・東京総合車両センター)の試運転線として、山手支線(大井連絡線)の線路は、昭和42年くらいまで使用されていた。現在は、2層式の山手電車区(旧・品川電車区/山手線の電車車庫)が建っており、往時の姿を確認することはできない。

今から125年前に開通した大崎駅から大井町駅とを結んでいた山手線の支線(通称・大井連絡線)が描かれた地形図。1939(昭和14)年に東京市電気局が作成した東京市交通機関網図より(図の着色は筆者加筆)=資料/国立公文書館蔵
1901(明治34)年に発行された「官報」に掲載された“山手支線”の開通に関する告示=資料/国会図書館デジタルコレクション
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■湘南新宿ラインなどが通る首都圏路線の要所
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工藤直通
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