村上春樹さんの世界観を体感できる「村上春樹ライブラリー」はこんな場所 蔵書の展示、オーディオルーム、カフェ、そして書斎……「新しい文化の発信基地に」(後編)

作家の村上春樹さんから寄託・寄贈された蔵書やレコードなどの資料を展示し、「村上ワールド」を間近に体感できる「早稲田大学国際文学館」(通称・村上春樹ライブラリー)が2021年10月1日にオープンする。村上作品や国際文学などの研究をはじめ、文化交流の拠点ともなる。国立競技場の設計でも知られる建築家の隈研吾さんが手掛けた館内は木の温もりが感じられ、やわらかな雰囲気が漂う。資料の閲覧だけでなく、村上さんの書斎が再現されたほか、ハイエンドなオーディオでLPレコードを聴くことができ、カフェではコーヒーや料理も味わえる。ジャズ喫茶の店主から世界的な作家となり、膨大なレコードの収集でも有名な村上さんの魅力を五感で楽しめる殿堂だ。

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村上春樹ライブラリーの象徴的な空間「階段本棚」

スタジオとラボ 「村上RADIO」の放送を期待したくなる

2階展示室の反対側にあるのが、音響設備のある「スタジオ」と、交流スペースとなる「ラボ」だ。開館当日の10月1日には、ロバート・キャンベル国際文学館顧問が、スタジオ内で国際文学について語り、その内容がズームで配信される予定だ。

スタジオは、14・55平方メートルの広さ。使い方については、意見や要望を集約しているところだという。ただ、調整卓やマイクの数々を見ていると、ラジオの収録を想像してしまう。2018年8月から「TOKYO FM」で始まった村上さんがDJを務める人気番組「村上RADIO」(2021年9月26日に第28回を放送)が、今後ここで収録されることがあるかもしれない。番組を毎回欠かさず聴いているファンの1人としては、ここからの生放送を期待したいところだ

音響設備が整えられたスタジオ。窓の向こうに見えるのがラボ

村上さんの作品を並べたギャラリーラウンジ 「息をしやすい学びの場」

1階の入り口から向かって左側が、村上作品の読書が楽しめる「ギャラリーラウンジ」だ。1979年のデビュー時から2021年までの村上作品や、自ら翻訳した海外小説が展示されている。村上さんからの寄贈で、多くが初版本だという。約1400冊が収納されているそうだ

中心部には「語らいテーブル」と称された長いテーブルが、ど~んと置かれ、ここで本を読むことができる。奥には、繭の形状をイメージした円筒形の「コクーンチェア」がある。腰を下ろすとほどよく座面が沈み、周りが囲われていることから、日常から遮蔽されたような感覚。落ち着いてこころゆくまで読書に没頭できる環境だ

ギャラリーラウンジ
コクーンチェア

ギャラリーラウンジ両側の本棚の一角には、世界各国の言語に翻訳された作品も。村上さんの作品は、50言語以上で翻訳されている。英語、フランス語、ロシア語、中国語、アラビア語、スペイン語、イタリア語。書棚をざっと見ただけで、こんな各言語が確認できた。現在は20言語に翻訳された作品が展示されている

各言語に翻訳された村上作品

見所は、蔵書だけではない。突き当りに置かれた椅子は、「ピーター・キャット」で使われていたもの。「ピーター・キャット」は当初、国分寺で開業し、その後都心の千駄ヶ谷に移転する。千駄ヶ谷店にあった椅子だ。

その脇には、村上氏による「羊男」の絵もある。

ギャラリーラウンジには、村上さんのメッセージが掲出されていた。その中で、次の一文に心を押された。

「学ぶというのは本来、呼吸をするのと同じです」

そしてこう締めくくられていた。「このささやかなライブラリーが、学校や国境の壁を自由に抜けて、あなたにとって『息をしやすい学びの場』となることを、心から祈っています」

ピーター・キャットで使われていた椅子
羊男

オーディオルームで上質の音に身を委ね、“凝り”をほぐす

村上春樹ライブラリーの中で、どこを一番オススメするか。個人的には、1階の入り口向かって右側の「オーディオルーム」を、強く推す。レコードやCDを聴きながら、ギャラリーラウンジの本を読むことができる読書空間でもある

オーディオルーム。音楽と文学を同時に楽しめる空間だ

システムは、村上さんのオーディオのアドバイザーを務めるオーディオ評論家で雑誌『ステレオサウンド』元編集長の小野寺弘滋さんが選定し、セッティングしたものだ。

レコードプレーヤーは「LUXMAN PD-171A」、カートリッジは「ortfon SPU Classic GE MK II」、CDプレーヤーは「marantz SA-12OSE」、プリメインアンプは「Accuphase E-380」、スピーカーは「JBL L82 Classic」と「Sonus faber LUMINA III」

レコードプレーヤーは「LUXMAN PD-171A」、カートリッジは「ortfon SPU Classic GE MK II」
プリメインアンプは「Accuphase E-380」
CDプレーヤーは「marantz SA-12OSE」

「古いLPレコードには、LPレコードにしかないオーラのようなものがこもっている。そのオーラが、まるでひなびた温泉のお湯のように僕の心を芯からじんわり癒やしてくれる」

村上さんは、今年6月刊行の『古くて素敵なクラシック・レコードたち』(文藝春秋)の序文「なぜアナログ・レコードなのか?」の中で、こう“レコードの効能”を説いている。

オーディオルームの家具も、逸品ぞろいだ。その中で、ウェグナーの椅子に深く腰をかけて目を閉じる。「JBL L82 Classic」と「Sonus faber LUMINA III」。このスピーカーの2つの銘機から流れる、やわらかで温かみのある音が部屋全体をやさしく包み込む。たしかに、山間の静かな温泉に肩までつかっているような感覚だ。心の“凝り”も、ゆっくりとほぐれていく

椅子にゆったり腰をかけて上質の音を楽しむ

スタッフの方にお願いしてかけてもらったLPは、ハンプトン・ホーズ(1928~77年)のアルバム『everybody likes HAMPTON HAWES Vol. 3 : the trio』。戦後、日本人ジャズ奏者たちとも交流があり、日本には縁の深い米ジャズピアニストだ。

ジャケットを裏返すと、子猫のかわいいイラストと「PeterCat」のスタンプが。40年以上前、店内で村上さんがこのレコードを手に取り、ターンテーブルに載せている様子を思い浮かべた。さらに幸せな気分がふくらんでいく。

「村上春樹ライブラリー」は、村上さんと、その愛蔵の品々や館内に込められた人々の想いを通じて心を通わせ、自分に大切な何かを「学ぶ」空間なのだと思う

レコードジャケットを眺めていると、心が安らぐ
ピーター・キャットのスタンプが入ったレコード
階段本棚で本を読む

「人は日々、自分の物語を作り続けているんです」

9月22日、井深大記念大ホールで開かれた記者会見には、村上さんをはじめ、隈研吾さん、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長、早稲田大の田中愛治総長、十重田裕一早稲田大学国際文学館館長が出席。それぞれ、村上春樹ライブラリーへの思いと期待を語った。

田中総長は「国際文学館の場所は、演劇博物館のすぐ隣にある4号館を選んでいます。これは、演劇博物館に村上春樹さんが学生時代にほぼ毎日のように通い、そこで読書をし、そこにある脚本をかたっぱしから読まれたということです。隣の4号館は1968年に建てられています。村上春樹さんの入学の年とほぼ同じ時期に建てられました。非常に昭和の薫が強い、何ら変哲もない建物ですが、村上春樹さんは『ここがよい』と、『その当時の演劇博物館で勉強した空気がある』とおっしゃった」と経緯に触れ、「世界中から若い方が集まり、文学、文化の発信交流の場になることを願っています。このような中で、時空を超えた体験をしていただき、若い方の中からいずれ村上春樹さんのような世界中から愛される小説家が生まれることも期待しています」。

十重田館長は「ここを世界的な研究拠点にすると同時に、開放的な、そして風通しのよい文化交流の場にしていきたい」

村上さんと同い年の柳井会長は「このライブラリー、国際文学交流の場が、日本と欧米、アジア、新しいアジアの人たち、あるいは欧米の人たちが一緒になって、新しい文学を作る。文学だけじゃなく日本の文化を発信する場になってほしい」

村上さんからライブラリーの設計を頼まれた隈さんは「私が最も愛読している作家、最も敬愛する作家」と前置きした上で、「(館内については)春樹さんが『僕はまだ生きているから、いわゆる文学館みたいな堅苦しいものではなくて、ライブラリーでみんなが交流する空間にしてほしい』とおっしゃって。春樹さんの文学にぴったりな、開放的で、なごめるものが作れればいいなと思いました。カフェだとか、オーディオルームだとか、FMの中継ができるような小さなスタジオもあります。このような文学館、ライブラリーは、世界に例がないと思います。ここで、まったく今までの文学の世界とは違う新しい交流ができるんではないかと願っています」。

村上さんは、1969年にジャズピアニストの山下洋輔さんが4号館の地下ホールでフリージャズのコンサートをやったエピソードを紹介し、「早稲田大学の新しい文化の発信基地みたいになってくれればいいなと思っています。同時に、学生たちが自分たちのアイデアを自由に出し合って、それを具体的に立ち上げるための場所にこの施設がなればいいなと。大学の中におけるフレッシュで独特なスポットになってほしい」

その後の質疑では、村上さんがライブラリー開館に寄せた「物語を拓(ひら)こう、心を語ろう」という言葉について質問が出た。村上さんの答えは次のようなものだった。

「僕は小説家なので毎日、物語を作っています。でもね、小説家だけじゃなくて、人は日々、自分の物語を作り続けているんです。人は自分の過去、現在、未来を物語化しないことにはうまく生きていけない。今の若い人が、自分の未来についてポジティブな物語をうまく作れているだろうか。コロナ禍という特殊な状況下で多くの若い人が薄暗いビジョンしか描けていないのではないかという気がします。いつの世の中でもどんな形でも理想みたいなものはあるべき。そういう良質な物語というか、『ほら、こういうものがあるんだよ』というサンプルみたいなものを示すのが小説家の役目だと思います

文・撮影/堀晃和

10月1日に開館する村上春樹ライブラリーの記者会見に出席した村上春樹さん(中央)=9月22日、東京・早稲田大学早稲田キャンパスの国際会議場井深大記念ホール

「早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)」の情報

[住所]東京都新宿区西早稲田1-6-1 ※早稲田大学早稲田キャンパス内
[開館時間]10時~17時
※新型コロナウイルス感染対策のため2021年度は事前予約制
※事前予約は同館サイトから https://www.waseda.jp/culture/wihl/
[休館日]原則水曜日 ※最新の開館日程は、同館サイトでご確認ください
[入館料]無料
[交通]JR山手線・西武新宿線高田馬場駅から徒歩20分、地下鉄東西線早稲田駅から徒歩7分、地下鉄副都心線西早稲田駅から徒歩15分

早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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