「私の場合は70~80万枚が理想」
では、そこまで影響を及ぼすミュージシャン~ユーミンは、そういった状態をどう思っていたのだろうか?200万枚というセールスを超えるようになった頃、その気持ちをユーミンに訊ねたことがある。
“私には、自分が受け入れられるファンのキャパシティが分かるの。私の場合は70~80万枚が理想で、最大100万枚というところだと思っているの。実際にそれくらいのセールスの時は、精神的に楽だったし。200万枚を突破して嬉しい気持ちとプレッシャーが増えたという気持ちがある”
ヒットを約束する音楽を創造するというのは、非常に難しいことだ。商業的販売物として、セールスの向上を狙いながら、ミュージシャン、クリエイターとしての自分も満足させねばならない。数千枚、数万枚というセールスなら、クリエイターとしての自分を満足させ、そこそこの創造性があればいい。しかし、200万枚超というセールスは、当時、6000万人と言われた音楽人口の30人にひとりが聴くのだから、それは大変なことだ。
ヨットの帆をかけるリールが回る 「カラカラっ、カラカラって音を聴いていると……」
“ストレスなんてものじゃないわよ。ストレスを超えた凄いプレッシャー。だから、1年に何日か眠れない夜があるの”
そうユーミンは話し始めた。当時、彼女は三浦半島にあるマリーナに暮らすこともあった。
“眠れなくて、涙が出てきて、枕がビッショリになるほど泣いたりする。そんな眠れない夜は、マリーナのヨット置き場に、フラフラっと歩いてゆくの、真夜中。夜風が波の音しかしないヨット置き場を吹き抜けていく。するとヨットの帆をかけるリールが回る、カラカラって音がするの。風に吹かれて、そのカラカラっ、カラカラって音を聴いていると、そのうち、段々と心の荒ぶりみたいなのが治まってくる”
そんなユーミンを思い浮かべるだけで、ぼくの心もつぶされそうになった。
“1時間くらいそうしていて、ベッドに戻ると、疲れでやがて眠りに入る。そして、翌日起きて、すべて忘れることにして、ガーッと頑張るぞと思うのね。私はもう私だけのものではない。多くのファンやスタッフのファンのものなんだぞと思うことにしてね。だって現実は現実として受け止めなければしようがないでしょう”
ミリオン・セールスして、ツアーを重ねる。ソロのシンガー・ソングライターだから、最終的な責任は、すべてが自分にかかってくる。気丈に思えるユーミンだって、プレッシャーで泣く時がある。ぼくはそこに、凄く人間的なものを感じた。
人生で1回くらいなら、人は心のヒットを産み出せるかも知れない。だが、それを持続することのプレッシャーが、いかに大きな忍耐が必要なのかをユーミンは教えてくれた。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo」で、貴重なアナログ・レコードをLINNの約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。