20年ほど前、アフリカを縦断していたある日、私はルワンダからタンザニアのキリマンジャロのふもとにある小さな村をバスで目指すことにした。穴ぼこもノミもいっぱいのつらくも愉快なサバンナの旅が始まった。
画像ギャラリーバスの屋根にも人・人・人!
ユーラシアを横断し、中東を抜けエジプトへ。そこから南アフリカに向かってアフリカの東側を縦断していた私は、ルワンダから何台ものバスを乗り継いで、タンザニアにあるアフリカ一高い山、キリマンジャロを目指していた。
日が傾き始めたサバンナの赤茶けた道を、オンボロなバスが土ぼこりを上げながらひた走る。バスの便が少なく、石油が貴重なサバンナでは、一台のバスに人も荷物もめいっぱい詰め込む。
その日も、ふたりがけの椅子に知らないおじさんとおばさんに挟まれて3人で座らされていた。身動きがとれないほどギュウギュウなのに、なぜか、おじさんはモゾモゾ動き、必死に体をカリカリとかいている。
ま、まさか……。私の悪い予感は的中し、しばらくすると私も、おじさん側の体半分がかゆくなってきた。ああ、やはり! おじさんの服についているノミがいそいそと引っ越ししてきたのだろう。昔の日本の土間のように、今も土の床で生活していることが多いアフリカの田舎では、ノミやダニが多いのだ。
ただでさえ貧血気味だというのに、ノミたちがチュウチュウと血を吸っていると思うと、泣きそうになるが、それでも席を移動することはできない。
なぜなら、通路にも体育座りした人でぎっしりだからだ。もっと気の毒なことに途中から乗ってきた人などは、車中にも入れず、バスの屋根に乗せた荷物の脇や上に座らねばならない。凸凹道で車体が跳ねるたび、上から「きゃーっ!」と悲鳴が上がる。運動神経のない私ならすぐ落っこちるだろう。
「それに比べたら、ずっとマシ。ノミを憎んでおじさんは憎まず」と、心の中で唱えて耐えるものの、やはりかゆいものはかゆい。
うっかり通じてる!?
ルワンダとタンザニアの国境も無事に越え、検問のトイレで服を着替えると、かゆみもだいぶマシになった。次のバスでもなんとか座席を確保でき、ほっとして窓から美しい夕焼けを眺めていると、パスン! と音が鳴ってパスが傾いた。パンクである。ああ、またか。
日本で何もないところで何時間も待たされたら大騒ぎかもしれない。しかし、アフリカ人は文句も言わず、「休憩! 休憩!」と、皆、それぞれ布を地面に敷いて横になる。
サバンナではパンクやエンジントラブルは日常茶飯事だ。それより怖いのは事故である。車同士がぶつかる事故より、屋根に荷物を積みすぎて倒れる事故のほうが多いらしい。その証拠に、道端に時々、黒焦げのバスやサビた乗用車がひっくり返っている。
キリンやシマウマが遠くに走っていれば「ああ、アフリカだなあ」と感動するのだが、黒焦げの車を見るたび、「これもアフリカか」という神妙な気持ちになるのだ。
日が完全に沈み、薄暗くなりはじめたころ、運転手さんが急にブレーキをかけた。窓から首を出すと、道のど真ん中で1台の大型バスが横に倒れているではないか。
どうやら転んだばかりのようで、荷物はあちこちに散らばり、窓から人が這いずり出てきて大騒ぎだ。私たちもバスを降りて様子を見に行くと死んだ人はいないようだが、額から血が流しているおじさんがいた。オレンジ色の布を体に巻き、首にはじゃらじゃらとネックレスをかけている。タンザニアには100以上の部族がいると聞いたが、このあたりの人なのだろうか。
日本語で「おじさん、水、いる?」とペットボトル片手に声をかけてみたら、「んあ~? へっくしょん!」と大きなくしゃみで返された。すると、なぜかおじさんが何かを話しながら、口をスパスパする。もしかしてタバコをねだっているのかもしれない。
思わず日本語で、「タバコ? 持ってないよ。私、吸わないもん」と手をふると、「んお?、ワタ●×▽★モン!?」と目を丸くして驚かれた。
スワヒリ語のイントネーションとも違うし、もしかしたら、「ワタシスワナイモン」と近い言葉が、おじさんの部族の言葉では、何か意味を持つのだろうか?
私は慌てて、「ごめん、今の日本語なの。ええと……英語で言っても通じないよなあ……」とつぶやくと、おじさんは「ゴメエエ~、イマ……ノ!?」と今度は目を丸くして、鼻の穴をふくらました。どうしよう、何かうっかり通じている!
結局、おじさんを驚かせただけで何も役に立たないまま、バスの運転手に「早く乗れ」とせかされてバスに戻った。そして倒れたバスを置き去りにして何事もなかったかのように走り去る。
えええ? ちょっと、あの人たちどうなるの? 近くに村もなさそうだし、夜は猛獣もウロウロしているというのに……と唖然としたが、これがサバンナの掟なのだろうか。
旅一番の相棒は殺虫剤!
片方しか点灯しないライトでバスは爆走していたが、事故現場から1時間も経たないうち、途中の村で停まった。夜は盗賊がいるから運転は危険なのだという。バスの下に毛布を敷いて寝る人もいれば、村人にお金を払って部屋を用意してもらう人もいる。
私が案内してもらった丸い小屋は、床はなく土壁に藁の屋根だが、それでもカンヌキとベッドとランプがあるだけありがたかった。
荷物を置いた私は、持っていた強力殺虫剤でベッドをくまなくスプレーした。それまでのアフリカの旅では、ベッドに寝ればノミにやられ、古いソファに座ればダニにやられ、さんざん血を吸われたり、噛まれたりしていたので、もはや殺虫剤は旅の一番の相棒であった。
殺虫剤の匂いでむせた私はドアを開けた。外には真っ黒な夜空に美しい三日月と天の川が燦然と輝いている。その下ではバスの乗客と村の人が火を起こして輪になって踊って歌っていた。
ドアから首を伸ばしてジーッと見ている目の細い私に気が付いたおばさんがやってきて、片言の英語で、「ユーも、こっちきて歌おう」と腕を引っ張る。世界のどこにいても、おばさんはおせっかいで親切だ。
「私、見てるだけでいい。歌は下手だから」と首を振るも、「ほら、ほら」と手拍子される。渋々、みんなと声を合わせて歌ってみたのだが、単純なメロディーなのに私ひとりだけ、音程がずれているのが自分でもわかる。
おばさんは苦笑いして、「うーん、それじゃ、あの子たちと踊りなさい」と輪の真ん中に私をグイッと押し出した。
アフリカのダンスといっても、部族ごとに全然違う。ジャンプする踊りだろうか、レゲエのような感じだろうかと、見つめていると、5、6人の少年少女が輪に入ってきて、「せーの!」とばかりに、笑顔でブルブルと全身を激しく震わせ始めた。
あれ? これはイントロ? いつ踊り始めるの? と待ってみたが、どうやら、この人間バイブレーターのようなブルブルとした動きが踊りのようであった。
「この動きは来世でアフリカ人に生まれかわらなければ無理」と後ずさりを始めると、子どもたちが私をからかってブルブルしながら全員でじりじりと近づいてくるのだ。ちょ、こ、怖い!
「わかった、わかった!」
見様見真似でブルブルと体を震わせ……と思ったのは私だけで、アフリカ人の目には、カクカクユラユラとした妙な動きに見えるらしい。誰もが私を見て、ヒャーハッハッハ! と転げまわって大笑いしている。
先ほどのおばさんは「日本人ってハイテクで何でもできる気がしたけど、歌と踊りはこんなに下手だなんて!」と、笑いすぎて涙目だ。いや、こんな日本人ばかりじゃないのに、祖国に申し訳ない。
しかし、アフリカ人のひとりがおもしろがって私のマネをし始めると、皆がつられてカクカクと踊り始めたので、ありがたいことに輪の中にいても違和感がなくなった。もしかしたら、サバンナにカクカクした踊りが加わるかもしれない。
クラクションで目が覚める
月も高く上がり、ようやくお開きとなった。私は小屋に戻ると、硬くて殺虫剤臭いベッドに倒れ込んだ。アフリカはどこも暑いと思い込んでいたけれど、高原のサバンナは涼しくからっとしていて夜は過ごしやすい。
むしろ寒いくらいで、ザックの中からフリースを引っ張り出した。横になって犬の遠吠えを聞いているうち、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
どのくらい寝ていたのか、パッパーッ! という、バスのけたたましいクラクションが鳴り響いて飛び起きると、もう夜明けで東の空が明るくなり始めていた。
その日のバス旅も、パンク1回とエンジントラブル1回、お客の夫婦の大げんかで停車1回と、いつも通りの通常運転であった。
無事、キリマンジャロで有名なふもとの小さな村、モシに辿り着いたのは、翌日の朝。バスを降りて初めて見たキリマンジャロは、私の想像とは違って、富士山の頭を途中でスパンと切ってしまったような、ずんぐりむっくりな形をしていた。
次回、キリマンジャロコーヒーを探していたら、ひょんなことから山に登ることに!? 中編もお楽しみに。
文/白石あづさ
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