「生前退位」への検討を始める 「天皇が亡くなったとき、残された国民を混乱させないためにはどうしたらいいのか」 天皇陛下と美智子さまのすべての発想の原点は、この1点に絞られる。それは、国民と共に歩み、国民に尽くされてきた平…
画像ギャラリー4月26日、上皇さまと美智子さまは改修工事の終わった元赤坂の仙洞御所(旧赤坂御所)に「お二人そろって」入居された――。これは、実は歴史的にも意義のあることなのである。上皇さまが崩御ではなく生前退位を実現されたからこそ、「お二人そろって住まう」ことができるのだから。この御所は、30年余にわたって積み重ねてきたお二人の人生の集大成の場でもあるのだ。上皇さまはここ近年、記憶や認知機能が低下しているとも報道されているが、仙洞御所で落ち着いた毎日を過ごされることだろう。
仙洞御所(旧赤坂御所)は、上皇さまと美智子さまがご成婚翌年の1960年から1993年まで30年以上もの長い間住まわれた懐かしい思い出のつまった御所である。赤坂御用地には秋篠宮ご一家も暮らしておられるから、自然に行き来も増え、お孫さまたち(佳子さま、悠仁さま)とふれあいながらのおだやかな晩年となるのだろう。
上皇さまと美智子さまの「老後」への取り組みの出発点は、昭和天皇の大喪の礼にあった。そのときから、実に30年あまりもの長きにわたって実践してこられたのだ。そんな陛下と美智子さまの「終い方の知恵」を一冊にまとめたのが『美智子さま いのちの旅 ―未来へー』(渡邉みどり著 講談社ビーシー/講談社)である。お二人の人生後半の歩みをていねいに記したこの本を紐解いてみよう。
即位されたときから、「人生の終い方」への取り組みは始まった
ちなみに今日は「昭和の日」で昭和天皇の誕生日にあたる。
今からさかのぼること33年前の1989年1月、昭和天皇崩御に際し、前例に従って喪儀が行われた。古くからのしきたりにのっとった儀式は壮大かつ長期間にわたった。皇太子さま(上皇さま)と美智子さまは、1年もの間、喪に服して経済活動を自粛した国民の生活、墓陵を造るための膨大な経費、儀式に係る人々の労苦を目のあたりにした。一部の企業のCMも自粛する事態となった。
天皇が亡くなったとき、残された国民を混乱させないためにはどうしたらいいのか。なにより、喪に服しているさなかでは、お代替わりの儀式や催しも華やかには行うことがはばかられる。新しい天皇の御代を寿ぐムードにならないのだ。これらを何とか変えることはできないだろうか。
即位の礼が行われたころ、すでに天皇陛下(上皇さま)は、喪儀と即位に関する行事が同時に進行するのを避けたい、とお考えだったという。喪儀から退位と即位のあり方、墓陵のことなど前例を踏襲せずに手を加えるなら、一刻も早く取り組まねばならなかった。なぜなら、天皇の儀式に関しては、家族のみならず宮内庁など周囲への説明、国会の承認、なによりも国民の理解を得ることが必要だからだ。その一つひとつをクリアして改革を実現するためには、果てしなく長い手順と年月が必要となる。
そうして、平成の天皇に即位したときから、表舞台の華やかな活動と並行して、密かなお二人の「人生の終い方」への取り組みが始まったのである。
「生前退位」への検討を始める
「天皇が亡くなったとき、残された国民を混乱させないためにはどうしたらいいのか」
天皇陛下と美智子さまのすべての発想の原点は、この1点に絞られる。それは、国民と共に歩み、国民に尽くされてきた平成流の陛下と美智子さまの願いだった。
2012年2月、陛下は心臓病の手術を受けられた。それをきっかけに、退院した春から毎月1度、皇太子浩宮さま(現天皇陛下)と秋篠宮さまをはじめ、宮内庁の参与たちも交えて懇談が催されるようになった。そこでは天皇陛下(上皇さま)の象徴天皇としての体験やお考えを伝え、生前退位への思いを話し合われたという。懇談を催す発案は、美智子さまだったといわれる。
御所で行なわれる懇談において、熱心な議論は深夜まで及び、陛下は立ち上がったまま議論することもあるほど熱のこもった場だったという。陛下と美智子さまのお考えを汲み、やがて「生前退位のお気持ちをにじませるおことば」を表明できるまでには、6年もの月日が必要だった。
宮内庁長官が「生前の遺言」を発表
同時に、喪儀や墓陵についても検討されていった。
『美智子さま いのちの旅 ―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)より一部を抜粋してみよう。
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2012年(平成24年)4月26日、羽毛田(はけた)宮内庁長官は定例会見で、
「両陛下は逝去された際のご自身について、火葬が望ましいというご意向がある」
と発言しました。また、「天皇陛下(上皇さま)と美智子さまが同じ陵に入る『合葬』も視野に入れて検討する」
と続けました。これは「葬儀の簡略化に対する方針」の発表であり、両陛下からの「生前の遺言」であると捉えられました。
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やがて「生前の遺言」会見からさらに検討を重ね、翌2013年11月には、宮内庁の風岡(かざおか)典之長官が記者会見で陛下と美智子さまの逝去の際の喪儀や陵についての方針を公表した。天皇の葬送について、検討課題も含めて事前に公表されたのは、極めて異例なことだった。
国民生活への配慮から、陵は昭和天皇陵より小さくし、天皇陵と皇后陵を寄り添うように並ぶ「不離一体」にするという内容だった。お二人の陵はまるで手をつないでいるかのような、やさしさを感じさせるたたずまいである。この発表でとりわけ注目を集めたのは、皇室の伝統の土葬ではなく火葬にすることだった。
宮内庁は葬送について調整するにあたり、皇室について定めた法律「皇室典範」に沿って検討していった。陛下と美智子さまは、皇室の祭祀や儀礼を守りつつ、国民に影響を与える部分のみ、整えていこうとされていたからである。
2016年8月、陛下は国民に対し、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」のビデオメッセージを出された。テレビで全国に流れた生前退位をにじませたこのお言葉を聞き、多くの国民は陛下のご意志を好意的に受け止めた。朝日新聞の世論調査によると、「生前退位の制度化」に、84パーセントの国民が賛成したという。
このメッセージを受けて、国も皇室典範の改正を検討し始める。やがて2017年6月、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が公布された。この法令改正により、天皇陛下の退位は2019年4月30日、翌5月1日に皇太子浩宮さまが即位されることが決まったのである。
国中が明るいお祝いムードにあふれた新天皇の即位
2019年春、生前退位の儀式は粛々と行われ、平成から令和へと御代が移った。国民が自らの判断でお祝いごとを控え、慎んで暮らした中で迎えた平成の天皇の即位と違い、国中が明るいお祝いムードに包まれた。
新しい天皇陛下の御一家が皇居にお住まいを移し、入れ替わりに上皇さまと美智子さまは港区の高輪皇族邸に移られた。そうしてこのたび、懐かしい赤坂御用地の仙洞御所に戻ってこられたのだ。即位されてから、実に34年もの月日が経っていた。
陛下と美智子さまは、「人生の実りある晩年」を実現するにあたり、理解を求める努力を積み重ねてこられた。しかし、それは皇室ならではのことだろうか。私たちにとっても、物事を整えていくには時間と労力を必要とすることに変わりはない。自分も周りも困らないためにも、早いうちから終い方を考え、取り組むこと。「そのとき」になってからでは遅いのだ。次の世代につなぐ穏やかな週末を迎えるためには、むしろ行動は必要なことだろう。お二人の歩みは、私たちに多くの気づきを与えてくれる。
陛下と美智子さまの長い歩みを国民は見守っています。少しでも長く、お二人にとって安らかな日々が続きますよう心よりお祈りしています。
●書き手
高木香織
出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に、『愛のダイアナ』(講談社)、『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』カレンダー『永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『ちょっとケニアに行ってくる アフリカに無国籍レストランをつくった男』(彩流社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。
●書籍紹介用
渡邉 みどり
皇室ジャーナリスト、文化学園大学客員教授。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網に入社し報道情報系番組を担当する。1989年の昭和天皇崩御報道の総責任者を務める。ドキュメント番組『がんばれ太・平・洋 新しい旅立ち! 三つ子15年の成長記録』で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞受賞。『愛新覚羅浩の生涯』(読売新聞社)で第15回日本文芸大賞特別賞受賞。『美智子さま マナーとお言葉の流儀』(こう書房)、『心にとどめておきたい 美智子さまの生き方38』(朝日文庫)、『美智子さま あの日あのとき』、三部作 美智子さまから雅子さまへ『Ⅰ雅子妃誕生 』『Ⅱ雅子さまに愛子さま誕生』『Ⅲ雅子さま ご成婚十年の苦悩』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へ―』(講談社ビーシー/講談社)など著書多数。
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