音楽の達人“秘話”

「さよなら」が大ヒット、出演依頼が殺到したが…テレビの力を借りなくても売れる自信 音楽の達人“秘話”・小田和正(2)

フォーク・ロック的なサウンドへ路線転換 オフコースが地方回りをしていた1970年代中期の日本の音楽シーンではニューミュージックが台頭していた。従来の歌謡曲、演歌などに対して、新しい音楽なのでニューミュージックと呼ばれた。…

画像ギャラリー

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。シンガー・ソングライター、小田和正の第2回も、初回に続いてオフコースの“売れない時代”の挿話がつづられます。大学院まで建築を学びますが、大好きな音楽の道へ。デビュー10年目にしてシングル「さよなら」が大ヒットしますが、音楽番組からの出演依頼に対してバンドが取った方針は……。

「今日、ぼくは建築とお別れしてきました」

売れないまま地方のライヴ・ハウスを回る日々が続いた。デビュー当時のオフコースは小田和正と鈴木康博によるデュオ・スタイルだったので、アコースティック・ギターさえあれば軽装でどこへでも行けた。これがバンドだったら音楽業界用語でいうトランポ(トランスポーテーション~機材運搬)に費用がかかるため、全国どこでもそう簡単にライヴはできなかったろう。

1975年現在、小田和正はまだ早稲田大学大学院生だった。その時の心境を教えてくれた。

“建築の道に進みたかった。大学院まで行ったからね。そっちへ進めば収入も安定してるし。その一方で音楽のプロになることを諦めていいのかという自問をしている自分もいた。負けてたまるかという気がしたし、音楽が本当に好きだった”

1975年12月、大学院修士論文の発表を終えた小田和正は、ライヴのトークで“今日、ぼくは建築とお別れしてきました”と語った。勝算の見えない闘いの道を歩むことを決心したのだ。

「売れなくて悔しかったよ」

小田和正という人は、そのヒット曲のイメージから優しく、モロく思われがちだが、何度か逢ったぼくの印象では男らしく負けず嫌いなイメージが強い。やる時は何が何でもやるという昭和の男なのだ。

売れないミュージシャンが10人、20人の少人数ライヴとはいえ、売れていないオリジナル曲をいくら演奏してもファン層は拡大しない。

“売れなくて悔しかったよ。小さなライヴ・ハウスを回るんだけどオフコースの曲はあまり知られていないから、何とかしようと思って音楽ファンなら誰でも知っているビートルズのカヴァー曲を多めに歌って、少しだけオフコースの曲も演奏した。今回のお客さんが20人なら、次はそれ以上集めるようにして、今度この町に来る時はオフコースのオリジナル曲を少しでも多く聴いてもらう。そんな辛抱を何年も続けたよね”

今では信じられない話である。あのオフコースがたった10人、20人の聴衆の前でライヴをやっていたなんて。小田和正の音楽への情熱がそうさせたのと同時、小学校時代からの友人だった鈴木康博との熱い友情もオフコースを支えていたのだろう。

オフコースのベスト・アルバムなど

フォーク・ロック的なサウンドへ路線転換

オフコースが地方回りをしていた1970年代中期の日本の音楽シーンではニューミュージックが台頭していた。従来の歌謡曲、演歌などに対して、新しい音楽なのでニューミュージックと呼ばれた。カルメン・マキ&OZのようなロック・サウンドもニューミュージックだったが少数派で、人気の中心はフォーク・ソングをベースにして日本風に発展させた音楽だった。

南こうせつ率いるかぐや姫が1973年9月に発表したシングル「神田川」は爆発的なヒットとなり、抒情派フォークと呼ばれた。しかし、小田和正が建築への道を断念した1975年末には、そのブームも大分去っていた。

それを見越したのだろうか。小田和正は大間ジロー、清水仁、松尾一彦など新たなメンバーをオフコースに招き、脱抒情派フォークを目指し、フォーク・ロック的なサウンドへと路線転換を計る。デビューから7年が過ぎていた。

デビューから10年目、1979年12月に発表した「さよなら」がついに大ヒットとなる。当時の日本では音楽番組が現在と異なり人気があった。「さよなら」がヒットしているオフコースにも出演依頼が殺到した。

しかし、オフコースはそれらをことごとく断っている。ライヴとレコード制作に尽力するというのがオフコースの方針だった。無名時代、テレビに見向きもされず、ひたすらライヴを重ねることで人気となったオフコースには、テレビというメディアの力を借りなくても売れる自信があったのだ。

5人体制となった“バンド”のオフコースはヒットを連発するようになったが、そのことに違和感を覚えたのが無名時代を支えた盟友鈴木康博だった。

オフコース、小田和正のアルバムの数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

画像ギャラリー

この記事のライター

関連記事

神戸から届いた熱々のトロけるチーズケーキとは?女優・大野いとのお取り寄せ実食リポート

声優・茅野愛衣が料理や日本酒で春を満喫 恒例のアレも飲んじゃいました

2024年5月の開運メシは「練り物」慌ただしいときこそコツコツと取り組もう

GWはゆったり谷根千散策!美味しい人気店から穴場スポットまで、1日中楽しめる完全ガイド

おすすめ記事

神戸から届いた熱々のトロけるチーズケーキとは?女優・大野いとのお取り寄せ実食リポート

「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」で“ネオ酒場”巡り 昼飲みにおすすめの3軒

ひと口食べれば「コンソメパンチ」ならぬ「エビ旨みパンチ」炸裂!! 『元祖海老出汁もんじゃのえびせん 渋谷ストリーム店』

この食材の名前は? お雑煮には欠かせないけど旬は春

東京駅ナカでクラフトビールを飲み比べ!『BEER HOUSE 森卯』自慢の溶岩石グリルは個性派ビールと相性抜群◎

「松任谷由実」初のベスト盤『ノイエ・ムジーク』 松任谷正隆の“ミリ単位”までこだわったアレンジがすばらしい【休日に聴きたい名盤】

最新刊

「おとなの週末」2024年5月号は4月15日発売!大特集は「銀座のハナレ」

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。4月15日発売の5月号では、銀座の奥にあり、銀…