坂本龍一もアレンジで参加した大貫妙子のアルバム ぼくが坂本龍一の名を初めて知ったのは1976年のことだ。山下達郎などと組んだシュガ 一・ベイブで一部の音楽ファンに人気となった大貫妙子のデビュー・アルバムの録音中だった。当…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。新たな年度が始まった2023年4月2日夜、音楽家・坂本龍一の訃報が流れました。3月28日に死去、71歳でした。1月11日には、同じイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーだった高橋幸宏が71歳で亡くなっています。YMOの結成は1978年。坂本龍一の第1回は、その2年前、“無名時代”のエピソードを紹介します。
音楽的な功績ばかりに脚光が当たることへの違和感
2023年3月28日、坂本龍一が71歳でこの世を去った。近年はステージIVのガンであることを公表し、闘病中であるにもかかわらず、音楽活動と社会的メッセージの発信は止むことが無かった。最後の最後まで現役を貫いた姿には感動させられた。
坂本龍一の死はテレビなど多くのメディアで報じられた。中国でもその死は報じられ、 中国外務省も哀悼とお悔やみを表明した。これは異例のことで、その思惑を推測する記事まで現われた。
坂本龍一の死を伝える多くのニュースにぼくは少し違和感を覚えた。彼の音楽的な功績ばかりスポットライトが当てられていたからだ。日本国憲法第9条の改憲反対を唱え、環境活動家である坂本龍一の側面は、あまり伝えられなかったと思う。これでは日本の主なメディアが、反政府的でもあった彼の活動を報じないことによって、時の政権に忖度しているとしか思えない。そう感じたのは、ぼくだけだろうか?
日本では数少ない“メッセージ”を発信し続けたミュージシャン
坂本龍一の最後の社会的メッセージは小池百合子東京都知事への手紙だった。その中味は明治神宮外苑の再開発による自然破壊を懸念し、その見直しを求めるものだったとされる。しかし、再開発は抗議も空しく3月22 日に着工されている。
日本には政治と音楽を切り離すことを求める音楽ファンが多い。ぼく個人としてはそういった風潮に反対する。ミュージシャンといえども一社会人。音楽以前に社会や政治があって何らかの影響を受けているからだ。社会があって音楽があると思うのだ。
現にザ・ビートルズ、とりわけジョン・レノン、ザ・ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなどといった現代のポピュラー・ミュージックの祖とも言えるミュージシャンたちは、その政治観、社会観を旗幟鮮明にしている。それ故に多くのリスナーに支持されてきたとも言える。坂本龍一は日本の現在では、数少ない政治、社会的信条を明らかにし、メッセージを発信し続けたミュージシャンなのだ。今後、その部分がもっと報道されることを祈りたい。
坂本龍一もアレンジで参加した大貫妙子のアルバム
ぼくが坂本龍一の名を初めて知ったのは1976年のことだ。山下達郎などと組んだシュガ 一・ベイブで一部の音楽ファンに人気となった大貫妙子のデビュー・アルバムの録音中だった。当時、東京は港区赤坂の溜池にあったクラウン・レコードにぼくはしばしば訪れていた。クラウン・レコードには大貫妙子以外にも細野晴臣などが所属していて、彼らのディレクターであるKさんには、随分とよくしてもらった。時々、電話がKさんからかかってきて、スタジオに遊びにおいでと言われた。
クラウン・レコードのスタジオは昼間はスケジュールが埋まっていることが多かったが、深夜は空いていた。その深夜に時間を気にせず、その後の日本の音楽シーンの原石たちがレコーディングしていた。
“ター坊(大貫妙子の愛称)のレコーディング中なので聴きに来ない”
ある夜、Kさんから電話があって、ぼくはスタジオに行った。スタジオにはKさんしか居なかった。
“ター坊のソロ・デビュー作の仮ミックス(レコードのためにステレオにミックス・ダウンする前の仮の音源)、聴かせるね”
そう言ってKさんは後の1976年9月に発売となる大貫妙子のソロ・デビュー・アルバム『Grey Skies』の仮ミックスを聴かせてくれた。
当時はJ-Popもシティ・ミュージックという言葉も生まれていなかった。だが、『Grey Skies』は紛れもなく、シティ・ミュージックと後に呼ばれるサウンドの先駆者だった。
“達郎(山下達郎)、細野さん(細野晴臣)、 矢野さん(矢野誠、矢野顕子の坂本龍一以前の夫)にアレンジを頼んだんだけど、坂本龍一って子に5曲ほど加わってもらったんだ。この子は凄いよ。きっと大物になるから、注目しててね”
Kさんはそう言ってニンマリした。
細野晴臣や大貫妙子などのディレクターをしていて、その審美眼を信用していたKさんが言うのだから、坂本龍一は絶対に大物になるとぼくも確信した。実際、『Grey Skies』の中で坂本龍一がアレンジを担当した「Wander Lust」、「いつでもそばに」といった楽曲にぼくもその可能性を見出したのだった。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。