音楽の達人“秘話”

「寒い夜に銭湯に行かなくすむぞ」南こうせつが“売れて”嬉しかったこと

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」のシンガー・ソングライター、南こ…

画像ギャラリー

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」のシンガー・ソングライター、南こうせつの第4回は、“人柄”について触れます。人間が大好きなことが分かるエピソードです。

「禁じられた遊び」が最初に弾けた曲

“こうせつさん”、親しみをこめてスタッフやファンは、南こうせつをそう呼ぶ。

“こうせつ=高節という名前は、きっと父が僧侶だった関係で付けられたんだろうね。 自分と同世代には、あまりない名前だよね。子供の頃は、もっと格好いい名前にして欲しかったなあと思っていた。現在は良い名前だと思えるようになった”

かつて自分の名前について、そう教えてくれた。

兄がウクレレを弾いていたので、借りてウクレレを弾き始めたことが音楽少年への第一歩だった。

“安いアコースティック・ギターを買ってもらって、独学で練習した。最初にまともに弾けるようになったのが「禁じられた遊び」。当時はあの曲が弾けると格好良くて、女の子にもてるはずだったんだけど、駄目でした”

南こうせつ、かぐや姫の名盤の数々

屋根に上ってラジオのアンテナを伸ばした

“中学生時代、ラジオで洋楽を聴いて、より音楽ファンになった。ぼくが育ったのは、現在は大分市になっているけど、当時は大分郡竹中村と呼ばれていたところ。田舎なんでラジオの電波が特に入りにくかったんだ。で、夜になると小さなトランジスタ・ラジオを持って、屋根に上ってアンテナを伸ばして、雑音の中、音楽を聴いた思い出がある。あっちの方が東京か、いつか東京に出て、音楽を演りたいなと思っていた”

ちなみに出身地の竹中という地名は、かぐや姫の「ひとりきり」という楽曲に出てくる。

高校時代に伊勢正三とフォーク・グループを結成した。東京に出て離れ離れになったがメンバー交替をくり返しながら、最終的には第2次かぐや姫として、南こうせつ、伊勢正三、山田パンダというメンバーに固定された。

風呂付きの部屋に引っ越すこと

“中退しちゃうんだけど東京の大学(明治学院大学)に入った。憧れの東京暮らしだったけど、とにかく貧乏だった。3畳じゃなかったけど小さなアパートでお風呂はもちろん、付いていない。銭湯代さえ倹約していた”

そんな話をしていて、昭和30~40年代の銭湯話で盛り上がったことがあった。昭和30~40年代、液体シャンプーのボトルは高価だった。チビた石験で頭から全身をぼくも洗っていた。そんな話をしていたら粉シャンプーの話になった。

“そうそう、銭湯代に少しプラスして粉シャンプーを買う時もあったね。あれを使うと頭がさっぱりした気になった。ちょっとした贅沢気分になったね。粉シャンプーって成分、何だったろうね”

音楽で食べてゆくことの次の夢は風呂付きのアパートに引っ越すことだった。

“ようやく音楽で食べられるようになって、憧れの風呂付きマンションに引っ越した時は、やったぞと思った。寒い夜に銭湯に行かなくてすむぞ、それがとてつもなく嬉しかった”

南こうせつ、かぐや姫の名盤の数々

自宅に迷い込んだ白人、ハリウッドの大物スタッフに

憧れの東京生活が始まったが、かぐや姫が売れて、ソロになると河口湖近くに引っ越してしまう。

“仕事をするのは良いけど、生活するのに自分は東京という街が向いてないと思ったんだ”

そして、1982年、南こうせつは生まれ故郷に近い大分県杵築(きつき)市へ戻って生活するようになった。

“根っから自然が好きなんだろうね。大自然の中で音楽を作ってみたくなった。というか、自然自体が音楽みたいなものだからね”

仕事は東京を始めとして全国で。時間があれば大分県の自宅に戻る。それがストレス解消だし、元気の素だと教えてくれた。

ぼくは行ったことが無いが、大分の大きな森の中にある南こうせつ家には、時々、知らない人が迷い込んで来ることもあると言う。

“ヒッピーみたいな白人の男性が迷い込んで来てね。面白そうな奴だから、しばらく泊めてあげたの。それから10何年か過ぎたら 彼がハリウッドの大物スタッフになったことを知ってね。今でも連絡はあるよ”

いかにも人間が大好きで、人を愛するのが好きな南こうせつらしいエピソードだった。

南こうせつ、かぐや姫の名盤の数々。左上が、1973年7月20日リリースの『かぐや姫さあど』。大ヒット曲「神田川」を収録

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

画像ギャラリー

この記事のライター

関連記事

ベトナム・ハノイのブルワリー直営バーでライスラガーやパッションフルーツのビールに舌鼓 “旅クラフトビール”の醍醐味を感じる

ベトナムで“現地ビール三昧”をして分かったこと 衝撃だった1本は人気ピザ店のシードル

人気声優・茅野愛衣さんが、中華料理を堪能! かめ出し、ハイボール、熟成もの……やっぱり中国といえばの“あのお酒”との相性は抜群でした

[Alexandros]磯部寛之さんが堀切菖蒲園ではしご酒 2回目のお泊まり取材!ちょっとした奇跡も起きました

おすすめ記事

「おとなの週末」編集部4人の“My BEST蕎麦前” 料理、酒はもちろん空間も最高なお気に入りをこっそり公開

昭和40年代に一世を風靡したシーモンキー “生きた化石”の本当の名前とは

ベトナム・ハノイのブルワリー直営バーでライスラガーやパッションフルーツのビールに舌鼓 “旅クラフトビール”の醍醐味を感じる

『地雷源グループ』や『春木屋』で腕を磨いた一杯『自家製麺 うるち』

【難読漢字】駅名当て 海水浴場が至近です

激うま「つけ麺」食べるなら“スポット”充実の「京浜東北線」!! 「動物系」から「魚介系」までスープの種類も豊富【TRYラーメン大賞】

最新刊

「おとなの週末」2024年6月号は5月15日発売!大特集は「町パン」

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。5月15日発売の6月号では、「うまくてエモい!…