熱々の餡掛けスープがたまらない!サンマーメンに土地ごとの味 まぁグチってもしょうがない。実はここに来る途上、これはと思う店を見つけてはいたんですよ。競輪場の前の道を、川崎駅方向へ向かう位置にちらりと見えた、よさげな町中華…
画像ギャラリー小説『バスを待つ男』などの著作がある作家の西村健さんは、路線バスをテーマにした作品の書き手としても知られています。西村さんが執筆する「おとなの週末Web」の好評連載「東京路線バスグルメ」の第6弾は、再び多摩川を越えて神奈川県に向かいます。前回シリーズは横浜を巡りましたが、今回は川崎。東海道本線の東側、日本の高度成長期を支えた京浜工業地帯の中核となる川崎臨海方面を中心に街の魅力を探ります。計3回の第1回は、「川崎球場」があった辺りです。
川崎大師や川崎駅周辺ぐらいだったが、“ロッテオリオンズ”時代の本拠地へ
今回の「バスグルメ」では神奈川県川崎市を回ってみます。
前回の「横浜編」がお陰様で好評だったから、っていかにも「二匹目のドジョウ」を狙おうという、発想が安直ですねぇ、我ながら(汗)……ま、まぁ、勘弁して下さいな。
さて、JR川崎駅とその周辺ならちょっとはウロウロしたことがあるし、川崎大師にも行ったことはあるけど、逆にそれくらい。他はとんと知らないし、土地勘もない。
実はまず最初に一つ、前々から行ってみたかったところがあるんです。かつて、川崎球場があったとこ。
現在の千葉ロッテマリーンズ。現在のZOZOマリンスタジアム(千葉市美浜区)に、1992年に移って来る前は、川崎を本拠地とし、名前はロッテオリオンズだった。そのまた前は仙台を本拠地としたりしてたけど、古い歴史はもういいですよね。
その川崎時代、とにかく観客が少ないので、来場者にはロッテのお菓子がもらえただとか、色んな噂を聞いてた。いっぺん行ってみたいなぁと思ってる内に千葉に移ってしまって、叶えられないままいたわけです。今はどうなってるのか。チームのファンじゃなくとも知りたいですよねぇ。
臨港バスのマスコット・キャラクターの名前は「りんたん」
てなわけでやって来ました、JR川崎駅前。東口バス乗り場のロータリーは2つ横に並んでて、駅舎から見て左手が通称「空島」、右手を「海島」というらしい。
今日、乗るのは臨港バスの「川21」系統で、乗り場は「海島」の方。
「臨港バス」って名前がいいですよねぇ。いかにも港を擁する町の路線バス、って感じ。ちょっと調べたら、現在のJR鶴見線の前身である鶴見臨港鐡道が、バス部門を子会社化したのに始まるんだって。マスコット・キャラクターの「りんたん」が車内にやたら飾られてて、モデルは鶴だっていうんだけど、「鶴見」が発祥の地だった、という由来によるんですね。
横浜ではあれだけメジャーだった神奈川中央交通バス、通称「神奈中(かなちゅう)バス」はこちらでは見掛けない。臨港バスと川崎市バスばっかり。路線バスにも縄張りがあるんです。
バス停の名前は「野球場裏」
駅前のロータリーを離れたバスは、そのまま駅前の大通りを駅を背にして真っ直ぐ走り出す。東京から延びる国道15号、通称「第一京浜」を渡り、もう少し進んだところで、左斜め前方へ切り込む道へ、左折。次の停留所、その名も「野球場裏」で下車しました。
降りてから初めて、スマホの地図アプリで自分の今いる位置を確認する。方角的にはこっちらしいな。見当をつけて住宅街の路地に入ったら、そのまま目の前にスタジアムらしき建物が見えました。あれが元川崎球場? 直ぐ脇では路面の落ち葉を掃いている、どう見ても地元民のオッチャンあり。こんな、どこにでもあるような住宅街のど真ん中に、かつてのプロ球団の本拠地はあったんだ!?
歩み寄って見たが、何かの工事中らしく敷地には立ち入れない。どうなってるんだろうなぁ、と取り敢えず敷地に沿って左方向に歩いてみたら、角地に出ました。工事用フェンスはここで途切れてる。工事の概要が張り出されていたので、見てみると、どうやら球場の敷地を含む一帯は「富士見公園」というらしく、その再編整備工事が行われてるみたい。
川崎球場跡にある「富士通スタジアム川崎」
球場跡そのものは現在も使われているようで、「富士通スタジアム川崎」という施設になってました。基本的にはアメリカンフットボールなどのスタジアムとして使われているようだ。施設に沿って歩いていると、中が覗けるところがあったので見てみましたが、確かにアメフトのゴールが立ってました。また、スタジアムの管理事務所に地元サッカーチーム、川崎フロンターレの写真が貼ってあり、ここも運営に参加したりもしているらしい。
地図には「富士見球場」という施設も書かれており、もしかしてそっちが川崎球場跡? とも思ったが、見てみたら市立富士見中学校の校庭だったので、やっぱり「富士通スタジアム川崎」が球場跡で間違いないようです。かつてのロッテオリオンズの本拠地は、こんな形で生き残っていたんですね。別にファンだったわけではないけど、何だか感慨深いものがありました。
ここは公営ギャンブルの聖地か?スタジアムの隣には、競輪場や競馬場
面白かったのは、スタジアムの直ぐ隣には、川崎競輪場があったこと。近くにあるとは事前の調査で分かってたけど、こんなに隣接してるなんて!?
その日はここでレースは開催されてなく、日本の他の地で行われてるレースの車券を買う人が、ちらほら競輪場内に消えて行く程度だったけど、開催日には凄い人出で賑わうんだろうなぁ。事実、川崎駅とこことを結ぶ無料送迎バスがあり、結構な頻度で出入りしていたが、客なしという便はまずなかった。これが開催日には便も増やして、どれも客で満杯になることでしょう。
さて、これも事前の調査で知ってたんだけど、実はこの近くには地方競馬の川崎競馬場もある。競馬場と競輪場がこんなに近接してある町、って我が国でもそうはないんじゃないでしょうか。「公営ギャンブルの聖地」か、っての!
2024年は川崎市の市制100周年
てなわけで、そっちにも行ってみる。
方角的にはこっちの方にある筈、と地図で確認したが、目の前には見えない。競輪場の前を走る車道の向かいにあるのは、市営スポーツ・文化施設の「カルッツかわさき」で、競馬場はあの向こう側にあるらしい。
そこでまずは「カルッツ」を回り込もうとしていて、「2024年 川崎市は市制100周年」と貼り出してあるのを見つけた。おおぅ。川崎が市制を敷いて100年という節目に、ちょうど「バスグルメ」の川崎編をすることになったわけですな。これは強い縁を感じずにはいられない。
運命に背中を押されるように、更に競馬場を目指す。路地に入ると、こちらもどこにでもある普通の住宅街でした。結構、高いマンションも立ち並んでるけど、あのベランダからなら競馬場が覗けるんじゃない? ファンからしたらたまらない眺めでしょうねぇ。
やけ酒をあおる“オケラ街道”はどこに?
なんてことを考えながら路地を進んで、大通りに出た。さっきバスで横切った第一京浜。それに面した大きな門があったので、ここが競馬場の入り口かな、と覗き込んでみたら、違いました。施設は隣接してるけど、ここは「神奈川県川崎競馬組合」の入り口で、関係者以外は立ち入り禁止、でした。
競馬場の入り口は、第一京浜を東京方面に進んで次の車道にぶつかり、右折した先にありました。開催日でないので、シャッターが降りたまま。ちょっと行った先にJRAの場外馬券売り場もあったけど、こっちは基本が土日の開催なので、同じく閉まってました。
なので競輪場と違って、こちらは人出は一切なし。通行人はたくさんいたけど、それは隣のショッピングモールを利用する人ばかりでした。
競輪場と競馬場が隣接する土地なのだから、客が出入りする飲食店も並んでいるのではないかと期待したんだけど、どうやらなさそう。東京競馬場(東京都府中市)のような、負けた人らがやけ酒を呑む“オケラ街道”みたいなのがないかな、とも期待したんだけど、なぁ……
熱々の餡掛けスープがたまらない!サンマーメンに土地ごとの味
まぁグチってもしょうがない。実はここに来る途上、これはと思う店を見つけてはいたんですよ。競輪場の前の道を、川崎駅方向へ向かう位置にちらりと見えた、よさげな町中華。“オケラ街道”がないんだったら、もうあそこしかない!
というわけで戻りました。
町中にすっかり馴染んだこの店構え。目を惹かれたのも分かるでしょう?
中に入るとしっとりと落ち着いた店内で、メニューも豊富だったけど私の腹はもうほぼ決まってた。神奈川県で町中華。「横浜編」の締めとして、“県民のソウルフード”サンマーメンを食べたけど、今度は「川崎編」の始まりとして同じ料理でスタート、というのはアリでしょう?
頼んでみると、出て来たのはこれでした。モヤシたっぷりの餡に豚バラ、キクラゲ、玉ねぎ、ニラ、ニンジンと具も豊か。これで700円は泣かせますよねぇ。横浜の時よりスープが若干、醤油の香りが前面に出てるように感じた。一口にサンマーメン、とは言っても土地ごと、店ごとに特徴があるんですよ。そうでなきゃ食べ歩きが面白くならない。
熱々の餡掛けスープにメガネが曇り、ハフハフ言いながら細麺を啜る。あぁ、美味い。幸せぇ……。今回は敷地の広い施設の周りばかり巡ったから、すっかり足が棒になってる。その疲れを、温かく解してくれる味わいでした。
おまけにここ、15時まではコーヒーがタダのサービスも。有難く食後のコーヒーも堪能しましたよ。
奥のテーブル席で、いかにも地元住人らしいオバチャン2人連れが、ずーっと喋ってる。確かに昼食を摂ってのんびり過ごすには、この上ない店だよね、と同感。
川崎球場のあった町には今も、地元の温かみが残されたままでした。
西村健
にしむら・けん。1965年、福岡県福岡市生まれ。6歳から同県大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。労働省(現・厚生労働省)に勤務後、フリーライターに。96年に『ビンゴ』で作家デビュー。2021年で作家生活25周年を迎えた。05年『劫火』、10年『残火』で日本冒険小説協会大賞。11年、地元の炭鉱の町・大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞を受賞し、12年には同作で吉川英治文学新人賞。14年には『ヤマの疾風』で大藪春彦賞に輝いた。他の著書に『光陰の刃』『バスを待つ男』『バスへ誘う男』『目撃』、雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編『激震』(講談社)など。2023年1月下旬、人気シリーズ最新作『バスに集う人々』(実業之日本社)を刊行。