前身の駅弁屋に住み込みで働いた山下清、度重なる“夜逃げ”の末に… 弥生軒と言えば、放浪画家と称される山下清(1922~71年)が住み込みで働いていたことでも知られています。我孫子駅の店舗入口や店内には「彌生軒はぼくが働い…
画像ギャラリーJR我孫子駅(千葉県我孫子市)構内の駅蕎麦店「弥生軒」は、鶏もも肉半身を使った特大サイズの“げんこつ唐揚げ”で知られ、路線利用者のみならず、鉄道愛好家らがはるばる食べに来る根強い人気を誇ります。弥生軒オリジナルの食べ方も気になる唐揚げですが、そもそも当初はメニューにさえなかったとか。店の看板商品の裏側を探ると、老舗ならではの秘話にたどり着きます。
昭和3年創業の駅弁屋、昭和42年から立ち食い蕎麦店に
弥生軒の創業は昭和3(1928)年。当時は我孫子駅で駅弁を販売していました。駅蕎麦のほか売店を営業していることもあって、店舗には1号店から8号店まで通しでそれぞれ番号がふられています(4号店を除く)。このうち、我孫子駅構内の駅蕎麦は5号店(4、5番線ホーム)、6号店および8号店(共に1、2番線ホーム)です。他に隣駅の天王台店がありますが、メニューは全店共通です。
我孫子駅構内で立ち食い蕎麦を始めたのは、昭和42(1967)年頃。昭和30年代から40年代にかけての高度成長期は、我孫子も東京圏のベッドタウン化が進み、都心の職場に急ぐサラリーマンが増加する一方、弁当の需要は減少します。ならば、通勤の行き帰りや、電車の待ち時間に温かい蕎麦でも一杯食べてもらいたいと、三代目にあたる植崎和基社長(63)の父親(二代目)が始めたそうです。
「唐揚げがお目見えするのは、平成のはじめ頃。それ以前は、大型のモンゴウイカを使ったイカ天が人気だったようです」(植埼社長)
これまた、大ぶりのイカ天はお客さんに好評だったが、モンゴウイカが高騰して入手困難に。二代目社長の亡き父が、思い切ってイカ天に代わる目玉を探していたところ、肉蕎麦なるものに目が止まります。肉と蕎麦の組み合わせは目新しさもあったことから、「ウチでは、万人に好まれる唐揚げにしよう」と考案。ならば、味つけをどうする?
女性事務員が家庭のレシピを伝授、1日1300個のベストセラーに
すると、当時在籍していた女性事務員が「私はこうやって作るのよ」と、鶏肉に塩コショウ、ショウガなどで下味をつけた家庭で作る“おふくろの味”を伝授。食べてみると、誰もが納得する美味しさで即採用され、現在もそのままのレシピで引き継がれていると言います。ちなみにショウガは、新鮮さにこだわり当日の朝にすりおろして下味をつけるこだわりよう。
昨今、複数のスパイスを効かせた濃い目の味付けの唐揚げが多い中、弥生軒のそれは、昔懐かしい素朴さをいまに伝えているのも人気の秘訣なのでしょう。ただ、当初の唐揚げの大きさは小ぶりだったとか。徐々に注文が集中すると、迅速に調理が進むように、鶏もも肉1枚を半分に切っただけにしたところ、そのボリューム感が話題を集め、「いまは多い時で1日1300個ほど売り上げる」(植崎社長)看板商品となりました。
唐揚げ単品注文に、めんつゆ入りの丼が出されるワケ
弥生軒では、唐揚げを単品(170円)で注文するお客も少なくありません。たびたび弥生軒を利用する筆者の家族に言わせると、帰宅途中のサラリーマンが小腹を満たすのに、炭水化物を抜いた唐揚だけがちょうど良いそうです。
ところが、唐揚げだけを注文しても、なぜかつゆが半分ほど入った丼に唐揚を浸して渡されます。
こちらの唐揚げ、見た目のインパクトだけにとどまりません。ズシリと重い唐揚げを箸で持ち上げ、勢いよくかじるとバリバリ音を立てる独特の衣も印象的です。バリバリの衣をめんつゆに浸した途端、ちょい濃い目の出汁を衣が良い具合に吸い込んでふやけ、中からほんのりショウガの香りが漂いいっそう食欲をそそります。まさに、好相性!唐揚だけを注文しても、たっぷりのめんつゆと共に出されるワケに納得です。
衣がキメ手!駅前の工場から出来立てを直送
植崎社長によると、「めんつゆに合う衣を作り、良い具合に揚げる作業こそ、熟練の調理員のなせるワザ」だと言います。
「粉をつけ過ぎないように丁寧にまぶし、鶏肉の中心部まで火が通るよう細心の注意を払って高温で2度揚げしています」
同社では、我孫子駅のロータリー前にある本社の地下に工場を設置。常に店舗と連携を取り合ってタイミングよく、一日に複数回、工場から揚げ立てを直送しています。
こだわりは、唐揚げばかりではありません。麺も粉の配合から行い、めんつゆは、高知・土佐から取り寄せたカツオ節を当日朝に、削り器でふわふわに削ってたっぷり使って出汁をとる徹底した自家製を貫くこだわりよう。材料の配合や味つけは、創業当初から半世紀以上にわたっても変わることはありません。
「いつ来ても安定した出来立ての美味しさを届けることで、お客さんの期待に応えたい」(植崎社長)
狙うは女性客、全店舗リニューアルで“外から見えない駅蕎麦”へ
人気店に行ってみたいけれど、女性ひとりで人の目が気になる駅ホームの立ち食い蕎麦店に入るには、まだまだハードルが高い!?そんな女性心理に配慮して、弥生軒では6年前、我孫子駅の3店舗及び隣の天王台駅店1店舗の全4店舗をリニューアル。「女性がひとりでも、気兼ねなく入れる立ち食いそば」をモットーに店のドアや窓の一部にスモークガラスを施し、外から店内が見えにくい仕様に替えました。また、カウンターの高さも女性目線で微調整、清潔感あふれる店内に、女性客が以前より多く来店するようになりました。
前身の駅弁屋に住み込みで働いた山下清、度重なる“夜逃げ”の末に…
弥生軒と言えば、放浪画家と称される山下清(1922~71年)が住み込みで働いていたことでも知られています。我孫子駅の店舗入口や店内には「彌生軒はぼくが働いていたお店です 山下清」と昭和38(1963)年に書かれた自筆の色紙や絵画のほか弥生軒を訪れた山下の写真と共に紹介されています。
山下は大正11(1922)年、東京・浅草の近くで生まれました。昭和9(1934)年に千葉県の施設「八幡学園」に入りますが、昭和15(1940)年 11月18日から、放浪の旅に出ます。
植崎社長が、山下と年齢が近く親交のあった父親から聞いた話によると、戦時中の食糧難にあえぐ山下が行商のおばさんから、「我孫子駅の弥生軒に行けば、米が食べられるよ」とすすめられやって来たのは、昭和17(1942)年、20歳の頃。弥生軒の創業者(植崎社長の祖父)らに迎え入れられた山下は、駅弁を細い紐で器用に結び、雑用を嫌がらずにこなす生真面目さで、重宝されていたそうです。
「ただ、彼は半年ごとに“夜逃げ”するクセがあったらしい。前の晩『今夜は月がキレイだな』とつぶやいた翌日には決まって姿が見えない。初めこそ、みんな心配したけど、あまりに頻繁でね。ぴったり半年後には何事もなかったように『ただいま』って帰って来て、また黙々と働くからそのうち気にならなくなったって。しかし、最後の夜逃げでとうとう戻ってこなかった」
“放浪画家”が描いた包装紙
弥生軒で働いていたのは5年間ほど。後に放浪画家として世に名が知られるようになった山下に、誰もが驚いたといいます。
植崎社長が山下を見たのは2度。「画家として有名になった後、忙しいさなかにわざわざ祖母(創業者の妻)を訪ねて、『その節はお世話になりました』と丁重にあいさつに来られたのを偶然見かけ『なんて律儀な人なんだろう』と子供心に感心しました」。
画家として名を馳せた記念に、駅弁の包装紙の絵を描いてもらうことになり、春夏秋冬の計4枚を依頼したところ、我孫子駅や市内の手賀沼周辺の風景画を情緒豊かに描いたといいます。だが、4枚目を描き終えることなく昭和46(1971)年7月、山下は永遠の旅へと向かいました。49歳でした。
さまざまな物語を紡ぎ、弥生軒はまもなく創業100年を迎えます。「これからも、お客さんに愛される伝統の味を手間暇惜しまず守る、これに尽きます」。植崎社長は今日もできたての美味しさを自ら届けるべく、各店舗へ奔走していることでしょう。
文・写真/中島幸恵
「弥生軒5号店」
【住所】JR常磐線および成田線「我孫子駅」4、5番線ホーム
【営業時間】月~土7時~17時/日祝8時~16時
【休日】無休
「弥生軒6号店」
【住所】同上1、2番線ホーム(上野方面)
【営業時間】月~金7時~22時/土7時~21時/日祝7時~20時
【休日】無休
「弥生軒8号店」
【住所】同上1、2番線ホーム(取手方面)
【営業時間】月~金11時半~21時/土11時~19時/日祝11時~16時
【休日】無休
「弥生軒 天王台店」
【住所】JR常磐線「天王台駅」1、2番線ホーム
【営業時間】月~金7時~13時30分
【休】土日祝
※電話は全店共通(04-7182-1239)