サラリーマン、洋食のコックを経て家系ラーメンのルーツ「吉村家」に弟子入り 家系御三家として名を馳せた「六角家」。創業者の神藤隆さんは高校卒業後の5年間、サラリーマンをしていました。神藤さん曰く「父親がトラック運転手をして…
画像ギャラリー新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から行ってきました。同年11月7日からは、1994(平成6)年のラー博開業時の店舗(現在も出店中の熊本「こむらさき」を除く7店舗)が、リレー形式で約3~4カ月ほど出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」もスタート。この各プロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中です。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。
“94年組”の最終第7弾、2024年4月8日からレギュラー出店
あの銘店をもう一度“94年組”の最終回となる第7弾で登場するのは、家系御三家として知られた横浜「六角家」さんです。「六角家」の本店(横浜市西神奈川)は、東急東横線白楽駅前に伸びる六角橋商店街が県道に突き当たった六角橋交差点から徒歩約5分の距離にありました。しかし、2017年に閉店してしまいます。「あの銘店をもう一度」企画の最後の出店ですが、今回は期間限定ではなく、レギュラー店舗「六角家1994+」として2024年4月8日から復活。創業者の神藤隆(じんどう・たかし)さん(2022年死去)が目指した「甘みのある理想のスープ」が味わえます。ラーメンファンが待ち望んだ進化した味です。
【あの銘店をもう一度“94年組”・第7弾・「六角家1994+」】
出店期間:2024年4月8日(月)~
※「六角家1994+」はレギュラー店として出店
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21
新横浜ラーメン博物館地下2階
※あの銘店をもう一度第27弾「春木屋郡山分店」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる
・過去のラー博出店期間
1994年3月6日~2003年5月31日
岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント「企画のフィナーレとして、神藤さんの功績を世に伝えたい」
2017年のある日、無性に「六角家」が食べたくなり、六角橋の本店に伺うと、厨房には創業者の神藤さんが立たれていました。食べ終わった際、「(ラー博)30周年の時に過去に出店していただいたお店を紹介する企画をやりますので是非もう一度ラー博に出店してください」とお伝えしたら「わかったよ」と言ってくれたのを覚えています。その後、神藤さんは体調を崩され、その年の10月に本店は閉店。2020年の破産手続きのニュースはネットを通して知り、ショックを受けました。
「あの銘店をもう一度」の企画が立ち上がった2021年、私は神藤さんに連絡を取ったのですが、半年間連絡がつきませんでした。ようやく繋がった電話越しの神藤さんは体調を崩されていたこともあり、元気がありませんでしたが、あの時のお話を覚えてくださっており、「自分は迷惑をかけたし体調も悪いので出来ないが、弟子がやるのであれば」というお話をいただきました。その後、何度かやり取りをしている中、お弟子さんは「蔵前家」の袴田祐司(はかまだ・ゆうじ)さんに決まり、袴田さんとの面談の日取りまで決まっていました。
しかし、その直前に電話があり、「岩岡、体調がよくない」とのことでしたので、私がすぐに病院を紹介し、神藤さんは入院されることとなりました。入院後、一度だけ連絡は取れたのですが、その年の10月にご逝去されました。
その後の流れはコラムを見ていただければと思いますが、私はこの経緯に対して運命を感じましたし、この企画のフィナーレとして神藤さんの功績を世に伝えたいと思うようになりました。
もちろんラー博に復活した「六角家」を見ていただきたかったですが、天国にいる神藤さんに「岩岡、ありがとう」と言ってもらえるよう、今日まで準備を進めてきました。私としては、今回の味は、当時の記憶が鮮明に甦るほど「六角家」を感じますので、お客様の反応がとても楽しみです。
最後に、2022年の7月から始まりました「あの銘店をもう一度」も、今回の「六角家」でフィナーレを迎えます。これまで約2年間にわたり、コラムを読んでいただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。ホッとした想いと共に、寂しい感じもしますが、これからも皆様に、驚き・感動・楽しさ・満足をお届けできるよう精進していきますし、31年目のラー博のこれからも是非期待していただきたいと思います。ご清覧、誠にありがとうございました。
サラリーマン、洋食のコックを経て家系ラーメンのルーツ「吉村家」に弟子入り
家系御三家として名を馳せた「六角家」。創業者の神藤隆さんは高校卒業後の5年間、サラリーマンをしていました。神藤さん曰く「父親がトラック運転手をしていて帰ってくる時間がまちまちだったため、自分は安定したサラリーマンを選びました」とのこと。しかし、サラリーマンの仕事が性に合わず、その後は洋食のコックとして10年近く働きました。
そして、いざ店を持とうとした時、洋食ではなく、自分が昔から好きだったラーメン店をやりたいと思い、家系ラーメンのルーツである「吉村家」(当時は横浜市磯子区、現在の本店は横浜駅近く)に弟子入り。その後、神藤さんは、吉村家の2号店である「本牧家」で店長を務め、合計7年間修業した後の1988(昭和63)年、横浜・六角橋に「六角家」をオープンしました。
六角橋にお店を出したのは当時、横浜で賑やかな商店街(六角橋商店街)があったからとのことで、その地名をとって「六角家」と名付けました。
ラー博店の最初は“立ち食いスタイル”
その後、1994年の新横浜ラーメン博物館のオープンメンバーとしてご出店いただきました。
余談ですが、六角家のラー博店は最初、椅子のない立ち食いスタイルでしたが、長時間並んだお客さんからの要望もあり、すぐに椅子を設置することになりました。
全国に店舗展開、本店閉店、破産
2003(平成15)年5月31日に新横浜ラーメン博物館を卒業すると、店舗を増やし、多い時には全国に10店舗ほど展開をしていました。
しかし、残念ながら体調を崩して2017年10月末に本店は閉店、2020年に破産手続をとりました。そして2022年10月5日、神藤隆さんはご逝去されました。
現在は、神藤隆さんの弟さんが別経営で、横浜・戸塚で「六角家」を運営し、その歴史を繋いでいます。
【六角家戸塚店】
住所:横浜市戸塚区下倉田町682
営業時間・定休日:オフィシャルのX(旧twitter)をご確認ください
https://twitter.com/rokkakutotsuka
「六角家」の復活プロジェクト、弟子+実弟+姪が協力
「あの銘店をもう一度」の企画が立ち上がった2021年、新横浜ラーメン博物館の館長・岩岡洋志は神藤さんに「この企画で、もういちど六角家をラー博に復活させましょう!」と相談しました。
しかしながら神藤さんは体調を崩していたこともあり、「色々と迷惑をかけたし、俺はできないが弟子がやる形でならば」という話になり、協議を重ねたうえで白羽の矢が立ったのが浜松にある「蔵前家」の袴田祐司さんでした。
神藤さん曰く「努力とセンスが際立った弟子で、わずか5年弱で独立を認めた優秀な弟子。今は浜松に移り住み、自分のお店を20年以上繁盛させている」とのこと。
そして、今回のプロジェクトは、別経営である「六角家戸塚店」の神藤誠さん(神藤隆さんの弟)、露木あゆみさん(神藤さんの姪)にも協力・賛同いただき、スタートを切ることになりました。
「六角家」の遺志を継ぐ袴田祐司さん、2001年に「蔵前家」として独立
袴田さんは1972(昭和47)年、浜松生まれ。実家は1974年から続く浜松餃子の老舗「紀楽」を営んでいます。「紀楽」ではラーメンも出していましたが、袴田さんはもっと美味しいラーメンを出したいと思っていました。
袴田さんは「新横浜ラーメン博物館に行けば美味しいラーメンがあるはず」とラー博を訪れ、そこで食べた「六角家」の味に衝撃を受けたのです。
その後、毎週のように浜松から六角橋の本店やラー博に通っていましたが、ある日、六角橋の本店を訪れた時、店先に「急募」と書いた求人募集が出ていて、袴田さんは迷わずすぐに連絡をしました。
袴田さんが「六角家」に弟子入りしたのは1996年の3月20日。最初は本店から入り、その後、ラー博店でも働くようになりました。
袴田さん曰く「当時の『六角家』は本当に厳しい世界で、2~3日で辞める人がほとんどで、10人弟子がいたとしても残るのは1人くらいでした。自分は早く独立したかったため、誰よりも早く店に入り、技術を身に付けました。当時は朝早く本店の仕込みを終わらせてからラー博店の営業に入るなど、朝から晩まで働いていました。あの時の苦労があって今があると思います」とのこと。
袴田さんは独立が認められ、2001年の5月まで六角家で働いたあと、2001年7月26日に東京都台東区蔵前に「蔵前家」をオープン。袴田さん曰く「浜松に戻ることも考えましたが、実家も人手が足りていたし、当時東京の東側に家系ラーメンが少なかったこともあり、蔵前で店をやることにしました」
その後、2009年4月4日に浜松に移転し、現在に至ります。
神藤隆さんが目指していた理想のスープ、1994年当時の味を進化
「あの銘店をもう一度」企画のフィナーレを飾る六角家。期間限定ではなくレギュラー店としてラー博に復活します。
今回のコンセプトは、神藤さんが目指していた甘みのある理想のスープ。屋号の「六角家1994+」はラー博に出店した1994年当時の味を、30年間の技術と経験により進化(+)させたという意味が込められています。
袴田さん曰く「六角家は店ごとに味が違いました。もちろんベースとなるレシピはあったのですが、神藤さんから、自分たちの個性を出しなさいと言われていたため、各店微妙に違いがありました。私が神藤さんから直接指導を受けた際に、神藤さんが一番大事にされていたのは、骨のバランスと、炊き方とタイミングです。この部分が変わると味は大きく変わります。私も一番そこを大事にしております」とのこと。
さらに「神藤さんが理想としていたスープはとんこつと醤油ダレのバランスが絶妙になるのですが、中々簡単にはいきません。理想のスープに近づいたときはスープに甘みが出ます」
そこで袴田さんは、理想のスープをさらに進化させるため、既成概念を捨て、一から研究し直しました。
炊き方に関してより理想に到達する方法として寸胴ではなく、直系1.3メートル以上ある大釜でスープを取るように変えました。
「大釜を使うことにより、対流が良くなり、焦げ付きがなくなります。そして開口が広いため、豚臭さもなくなります。使用する食材は神藤さんがやられていた頃とそれほど変わりませんが、神藤さんが目指していた理想のスープに近づけるようになりました」とのこと。
六角家らしさとは「とんこつと醤油のバランスが取れた“クラシックタイプ”」
袴田さんが考える「六角家らしさ」とは、旨味がしっかりありながら、とんこつと醤油のバランスが取れていること。
「この20年で家系ラーメンは醤油感の強いタイプが主流となりました。この流れを決して否定しているわけではなく、私は20代の頃初めて食べて衝撃を受けた、とんこつと醤油のバランスが取れた“クラシックタイプ”の家系ラーメンが好きですし、神藤さんもその味を追求されていましたので、私もその方向を極めようと日々試行錯誤しております」とのこと。
春木屋(東京・荻窪ラーメンの名店)理論(※客の舌は自ずと肥えてくるので、同じ味を出し続けるのではなく、ベースは変えずに、時代の変化とともに少しずつ味を調整すること)ではないですが、時代と共にお客様の舌は肥えてきていますので、ここまで追求してようやく「これが昔食べた六角家の味だ」と言ってもらえるようなラーメンを目指しています。
残念ながら、創業者の神藤さんは2022年にご逝去されたため、今回の味を食べていただくことは出来ませんが、戸塚店末裔の協力を得て「このコンセプト、この味ならば」ということで承認をいただきました。
『新横浜ラーメン博物館』の情報
住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人380円、小・中・高校生・シニア(60歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円
※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/