「皇室と駅弁のつながり(2)」では、昭和、平成、令和と時代を追って、さらなる皇室と駅弁のつながりを紐解いていく。平成以降、地方への移動には飛行機のご利用が増えている。“空弁”なる存在も気になるところだが、“機内食”の出番を奪うことはできないだろう。駅ごとに彩り豊かな食を味わうことができる列車旅。駅弁の旅は続くよ、どこまでも。
画像ギャラリー「皇室と駅弁のつながり(2)」では、昭和、平成、令和と時代を追って、さらなる皇室と駅弁のつながりを紐解いていく。平成以降、地方への移動には飛行機のご利用が増えている。“空弁”なる存在も気になるところだが、“機内食”の出番を奪うことはできないだろう。駅ごとに彩り豊かな食を味わうことができる列車旅。駅弁の旅は続くよ、どこまでも。
鉄道の旅を好まれた昭和天皇
戦後の全国御巡幸以降、昭和天皇は鉄道を利用して全国を旅して回った。無論、ご公務であることは言うまでもないが、長距離の移動であっても飛行機は使わず、鉄道での移動を好まれた。結果、必然的にお召列車の中でのご昼食の機会が多くなり、歴代天皇の中では“駅弁”を一番召し上がったのは昭和天皇であった。
なかでも、1958(昭和33)年10月にお召列車で碓氷峠(群馬、長野県境)を越えて富山県へ向かわれた際に、途中の国鉄信越本線横川駅(群馬県)で駅弁を購入された。特別にあつらえた陶製の容器で提供された特別メニューの駅弁「特製 峠の釜めし」に、昭和天皇は大変ご満悦のご様子だったと伝え聞く。
また当時の皇太子(現在の上皇陛下)ご一家も、幾度となく訪れた軽井沢でのご静養の際には、碓氷峠を行き交う列車の中で「峠の釜めし」を召し上がったそうだ。
チキン弁当がお好き?
平成の時代、ご公務で地方へ向かわれた日は、おおむねご訪問先の知事らとご昼食をともにされるのが慣例となっていた。その後、ご年齢を重ねられた天皇陛下(現在の上皇陛下)の負担軽減を理由に、移動中の列車内もしくは飛行機内でご昼食をおとりになられてから、現地入りされるように改められた。このため、「車中ご昼食」「機内ご昼食」といった機会が増えることになった。
上皇陛下(当時の天皇陛下)は、列車の中で駅弁を召し上がることを楽しみにされていたそうで、事前に駅弁のパンフレットをお取り寄せになり、美智子さまとお弁当談議に花を咲かせながら、お選びになったという。なかでも上皇陛下は、東京駅の有名駅弁がお好みのようで、ご注文の回数が一番多いのだとか。美智子さまは、上皇陛下と同じ駅弁になさったり、ご自身でお好みのものを選ばれることもあったそうだ。
残念ながら、お弁当の種類は非公表。一説では「チキン弁当がお好み」とも伝えられるが、 当の駅弁業者に真意を問うと、「お弁当の種類はお答えはできない」との由。食材や容器も市販されている駅弁と同じ、とのことだったが……。
愛子さまも召し上がった?
天皇、皇后両陛下の場合も、地方でのご公務へ向かわれる際には、現地入りされてからご訪問先の知事らと、ご昼食をともにされることが多い。これまでに、列車内でご昼食を召し上がったのは、2019(令和元)年9月の茨城県へ向かわれたお召列車の時だけであった。この時のメニューは非公開とされ、駅弁だったのか軽食だったのかもわからない。
一方で、長女の愛子さまは、2024(令和6)年3月に三重県と奈良県をご訪問された際に、移動中の“近鉄特急”の中で「駅弁」を召し上がっている。近鉄の松阪(まつさか=三重県)駅で販売されている新竹(あらたけ)商店の「モー太郎弁当(1700円)」と「元祖特撰牛肉弁当(1700円)」だった。過去には、高松宮宣仁親王も駅弁を購入されたことがある老舗だ。
愛子さまが、どちらの駅弁を召し上がったのかは気になるところだが、おそらくは弁当のふたを開けるとメロディーを奏でる「モー太郎弁当」だったのではないだろうか。“今どきの女子”でもある愛子さまが、その光景をご自身の“スマホ”で撮影なさったとしたら、なんとも微笑ましいことだろう。
昭和の時代、掛け紙に「宮内庁御用達」と書かれた駅弁があったことを思い出した。昭和天皇が、お召列車で毎年訪れるたびにご注文された駅弁だった。過剰な宣伝は好ましくないが、同じ駅弁を食べることで身近に感じる皇室という存在も、さもありだろうと思う。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち 日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。