都内の鰻店を取材する中で、うなぎの産地を聞くたびによく聞く「三河一式」の名前。なぜ名店のうなぎ職人はこの地のうなぎを好むのか。その秘密を探りるために『おとなの週末』うなぎ調査隊が現地に向かった。
天然に近い環境で育てる一色産うなぎ
名古屋市内から一色漁協まで車で約1時間半。まずは漁協の敷地内にある「立て場」と呼ばれる場所へ案内された。
立て場とは、養鰻池から運ばれサイズごとに選別されたうなぎを地下水に数日間さらし、泥臭さを抜く施設のこと。立て場ではうなぎの選別作業が行われていた。目視と掴んだ際の手の感触だけでサイズ別に選別する様はまさに職人技だ。この日、池揚げされたのは、年明けから約180日間育てた「新仔うなぎ」。
「一色産うなぎは、身も皮も柔らかく、口の中でとろけるような味わいの新仔うなぎを指します」と話すのは、若手のうなぎ生産者グループ「一色うなぎ研究会」の会長、田中亮介さんだ。
新仔うなぎにもかかわらず、大きくて太いうなぎを生み出す技術が、ここ一色町で長年にわたって確立されてきたのであろう。立て場から養鰻池に場所を移して田中さんに話を聞かせてもらうことに。
一色町における養鰻の歴史は古く、1904(明治37)年頃から始まった。農業との兼業だったが、1959(昭和34)年の伊勢湾台風で水田に壊滅的な被害が出たことから、養鰻が急速に発展したという。
1962(昭和37)年には一色うなぎ漁協の前身である西三河養殖業漁協が設立された。
「1961(昭和36)年から矢作古川の河川水を利用するための養鰻専用水道が整備され、昭和40年代後半からビニールハウスでの加温式温水養殖が開始。効率の良い養殖方法を確立しました」(田中さん)
養殖の設備等のシステムもさることながら、養鰻池にもこだわりがある。コンクリートに覆われた養鰻池が一般的だが、一色では底面を砂利や土で作り、限りなく天然に近い環境でうなぎを育てている。