松平定知の「一城一話55の物語」

智謀と嫉妬、黒田長政は壮絶な最期を遂げる“義兄弟”後藤又兵衛となぜ決別したのか 福岡城で晩年の官兵衛が明かした親心とは

福岡城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。今回は、黒田長政と福岡城です。

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。今回は、黒田長政と福岡城です。

信長の人質に、長浜城で幼少期を過ごす

黒田長政は黒田孝高(官兵衛)の嫡男で、幼名は松寿丸といいました。官兵衛が織田信長に仕え、羽柴秀吉の軍師になると、天正5(1577)年から信長への人質として秀吉に預けられ、秀吉の居城だった長浜城で過ごしました。

黒田官兵衛の主君だった小寺政職(こでら・まさもと)の子が病弱だったため、身代わりになったと考えられています。

福岡城の潮見櫓 Photo by Adobe Stock

10歳の時に殺される危機、竹中半兵衛が別人の首を差し出して逃れる

長浜城では年上の市松(福島正則)や虎之助(加藤清正)らと交わり、元気に育ちました。ところが信長の家臣だった伊丹城主の荒木村重が謀反を起こし、敵対する毛利方に寝返ったことで、10歳だった松寿丸の身は一時、暗転します。

秀吉は、村重と旧知の仲だった黒田官兵衛を派遣し、翻意を促しますが、村重は逆に官兵衛を幽閉してしまいます。戻らない官兵衛を裏切ったものと考えた信長は、秀吉に人質である松寿丸を殺すよう命じますが、官兵衛とともに秀吉の軍師を務めた竹中半兵衛が、信長に別人の首を差し出す機転を見せ、松寿丸の命を救ったのでした。

福岡市内 Photo by Adobe Stock

関ヶ原の戦いでの功績

長政は、本能寺の変で信長が自刃すると、父・官兵衛とともに秀吉軍に従軍。備中高松城攻めや賤ヶ岳の戦い、九州征伐、朝鮮出兵といった戦いで武功を挙げ、福島正則や加藤清正と同様、武闘派に属し、官僚タイプの石田三成と敵対します。秀吉の死後は対立がより深まり、慶長4(1599)年、前田利家が亡くなると武闘派7将による三成襲撃未遂事件を起こしています。

そうしたこともあって、関ヶ原の戦いでは断然家康側につきます。彼の最大の功績は、秀吉子飼いの猛将・福島正則を訪ね、家康方につくことを約束させたことでしょう。福島正則は長政以上に三成嫌いでしたが、世に言う小山評定で、正則がいち早く家康支持を表明したことで、会津征伐から一転、三成率いる西軍との決戦が決まったのでした。

さらに、小早川秀秋や吉川広家への調略も、長政の手腕でした。このあたり、官兵衛譲りの策士といったところですが、決して裏で活躍するだけの武将ではなく、実際の戦闘でも黒田勢の戦いぶりはすさまじかったと記録されています。

福岡城の祈念櫓 Photo by Adobe Stock

黒田藩の藩祖に

家康は長政の功績を一番と称え、福岡の地に52万3000石を与えました。長政は黒田藩の藩祖となり、福岡城を築城することになります。その頃すでに官兵衛は完全に隠居状態で、太宰府天満宮の一隅に住み、福岡城の三の丸に「お鷹屋敷」ができると妻・光(てる)姫と住み、和歌や連歌を作り、朝鮮人参作りにも精を出したといわれます。

「お鷹屋敷」は、長政の住む本丸よりも低い土地に作らせています。それは、子とはいえ、藩主は敬わねばならないという考えからだったでしょう。

大濠公園 Photo by Adobe Stock

困った爺さんを演じた官兵衛の真意とは?

また、その頃のエピソードに面白いものがあります。

晩年の官兵衛は、わからず屋の困った爺さんを自ら演じて見せました。

家臣たちの苦情に音をあげた長政が、「父上、なにとぞご勘弁を」と頭を下げると、官兵衛はにやりと笑って、「お前の家臣たちは心の中で、早くあのじいさんが死なないだろうか、と思うであろう。それはそっくり、お前さんへの待望論になるのだよ。お前はやりやすくなり、黒田家も安泰ということじゃ」と語ったということです。

真偽のほどははっきりしませんが、なんとも官兵衛らしい逸話です。

福岡城の潮見櫓 Photo by Adobe Stock

2歳年下、槍の名手・後藤又兵衛

さて、黒田家の主君である小寺家には後藤家が仕えており、後に大坂夏の陣で真田幸村らとともに壮絶な最期を遂げる後藤又兵衛こと後藤基次も、長政の家臣でした。長政と、彼より2歳年下の又兵衛は、官兵衛の方針により兄弟のように育てられますが、長政より又兵衛のほうが槍の名手であり、官兵衛もことにかわいがっていたため、長政はずっと嫉妬の念を燃やしていたといわれます。

朝鮮の役でも関ヶ原の合戦でも、黒田軍は大活躍を見せますが、又兵衛あっての黒田軍という面もありました。長政は面白くありません。関ヶ原の合戦の後も2人にはいざこざが絶えず、ついに又兵衛は長政のもとを去りました。

福岡城の石垣 Photo by Adobe Stock

「黒田家とのケンカとみなす」

当時は、徳川と豊臣の間にもう一戦あると皆が思っている時代でしたから、戦上手の又兵衛を諸大名が放っておくはずがありません。細川忠興、前田利長、結城秀康らは、多額の報酬で又兵衛を迎えようとしました。

しかし、長政は絶対に士官させまいと横やりを入れてきます。「奉公構(ほうこうかまい・ほうこうかまえ)」というのがそれで、「奴を仕官させたら、その大名は黒田家とのケンカ宣言とみなす」というのです。

大濠公園 Photo by Adobe Stock

確執が大坂夏の陣でのドラマを生んだ

結局、又兵衛は大名に仕えることを諦め、一浪人として、豊臣秀頼が籠城する大坂城に入ります。

長政との確執が、後藤又兵衛の大坂夏の陣での大奮戦というドラマを生むわけですから、歴史は面白いものです。

【福岡城】(別名・舞鶴城)
慶長6(1601)年、関ヶ原の合戦の功によって、筑前52万石を与えられた黒田長政が平安の頃に大陸との交渉窓口であった鴻臚館(こうろかん)跡に築城し、慶長12(1607)年に完成。ここは福崎と呼ばれていたが、かつて黒田一族が興隆した備前の国、福岡村にちなんで福岡と命名した。幅50mを超える巨大な内堀を持ち、47の櫓と10を超える城門があった。大天守、中天守、小天守が連なる巨大な天守台が残り、天守閣があったとすれば熊本城級と想定されるが、徳川幕府を警戒させまいと、天守閣は築かなかったといわれている。 
住所:福岡市中央区城内

福岡城跡 Photo by Adobe Stock

福岡城南二の丸多聞櫓
江戸時代から残る数少ない遺構で国の重要文化財に指定されている。慶長12(1607)年に建てられたが、現在のものは嘉永6(1853)年に再建された。

福岡城の多門櫓 Photo by Adobe Stock

【黒田長政】
くろだ・ながまさ。1568~1623年。永禄11(1568)年、黒田(小寺)官兵衛の嫡男として生まれる。父、官兵衛により、少年時代は後藤又兵衛と兄弟のように育てられる(2人は後に決別)。官兵衛の右腕となり、朝鮮出兵の際には勇猛果敢に戦い名を馳せる。そのいっぽうで、関ヶ原の戦いの直前に秀吉子飼いの武将、福島正則を訪ね、家康方につくことを約束させることで、家康勝利の地固めを行ったほか、小早川秀秋を調略し、寝返らせることにも成功。この功績により筑前52万石を与えられた。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。京都芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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