パリ・オリンピックとパラリンピックも無事に終わり、パリという都市に興味を抱いた方も多いだろう。パリは芸術の街でもある。漫画家から画家になったさかもと未明さんが出会ったお店は、ピカソなど著名な芸術家たちが集った歴史あるキャバレーだった。2024年夏、『命の水 モンマルトルーラパン・アジルへの道』(ワニ・プラス)を刊行したさかもと未明さんが、パリの魅力とお店との運命的な出会いをつづってくれた。
※トップ画像は、モンマルトルの丘にある『ラパン・アジル』
歴史に名を刻む芸術家たち、パリで最も魅力的な場所
パリ北部のモンマルトルにあるキャバレー『ラパン・アジル』との出会いは、自分にとっての運命だと思っています。たまたま友人に誘われて訪ねたのですが、店内の絵画や彫刻、歌手たちの熱演に圧倒されました。私の人生がそこで変わったといっても過言ではありません。
どうしてもその店やモンマルトルのアートの歴史を日本の皆さんに伝えたくて実現した雑誌『芸術新潮』での連載記事に加えて、自分の個人史を加筆し、まとめたのが著書『命の水 モンマルトルーラパン・アジルへの道』です。
私は、パリで最も魅力的なのはモンマルトルだと思います。セーヌ河畔も素晴らしいですが、モンマルトルは丘なので、風景が変化に富んでいます。ここから多くの画家が誕生したのは道理だと思います。まだ19世紀末、1889年のパリ万博の頃の雰囲気が残っているんです。いわゆるべル・エポックの時代で、「エコール・ド・パリ(パリ派)」と言われる芸術の大きな波が生まれました。ピカソやマチス、シャガール、藤田嗣治(つぐはる)、ユトリロ、モディリアーニなどの活躍で、写実的だった絵画が突然、自由な表現に変わりました。キュビズムが生まれたのもこの時代です。
アポリネールやブルトンなどの作家を含む「パリ派」の芸術家たちが集ったのがモンマルトル。有名なキャバレー『シャ・ノワール』や、今回私が取材した『ラパン・アジル』で歌ったり論争したりしながら、熱い芸術と友情が育まれました。
『シャ・ノワール』は経営者のロドルフ・サリスの死で幕を閉じましたが、そこの歌手だったアリスティード・ブリュアンが「芸術の灯を消してはいけない」と、地上げで壊されそうだった『ラパン・アジル』を買取り、今のオーナー家族に安値で譲りました。一家はその後3代に渡りこの店を守り、19世紀末と同じスタイルでシャンソンを聞かせてくれます。当時から続くキャバレーはこの一軒だけ。だから特別な店なんです。
『ラパン・アジル』の「命のパワー」に惹きつけられる
私は膠原病(こうげんびょう)という難病を患っていますが、5年ほど寝たきりに近い生活を送った後、画家として再起した2017年に思い切ってパリに来て、この店に出会いました。当時は階段も上れず、タクシー移動しかできませんでしたが、この店を訪ねた時、不思議な「命のパワー」を感じたんです。それこそ19世紀末の芸術家たちも感じていたのではという熱い力。どうしてもこの店を取材したくなり、何度も訪ねているうちに、私も元気になっていったのですから不思議です。
『ラパン・アジル』は照明も薄暗くて、胎内みたいなんですね。マイクなしで歌手が歌うので、全てが自然。そういう自然の波動が五感を刺激して、内なる力を生み出す気がします。 私も元気になりましたが、オーナーのイヴさんは、96歳の今も現役の歌手。店のパワーの恩恵を得ているのではと思います。
私が歌手で画家だったこともあり、「君は私たちの仲間だよ」と。オーナーさんが本当によくしてくれて、あろうことが雑誌の取材が決まったときに、ご自宅に居候させてくれました。著作や日本でのメディア記事などを見せたので、身辺調査も必要ないと思ってくれたのかもしれませんが、「芸術家同士、寄り添って助け合おう」という哲学のまま、彼らのコミュニティに快く迎え入れられたことが、私には「命の水」でした。モンマルトルにはまだ「ご近所づきあい」が健在なんです!