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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。今回は、堀尾吉晴と国宝・松江城(島根県松江市)です。

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戦場では勇猛ながら性格は謙虚

堀尾吉晴は戦国武将に詳しい方以外、一般にはあまり知られていないと思います。しかし、松江城を作り、城下を整備した堀尾吉晴は、松江では今も崇め慕われています。

堀尾吉晴は尾張の土豪の長男として生まれ、早くから秀吉に仕えました。彼の幼名は仁王丸でしたが、茂助と名を変えてから頭角を現します。彼のいいところは、戦場では勇猛ながら性格は謙虚で、「仏の茂助」と呼ばれていたところでしょうか。功を争う猪武者が多いなか、異色の存在でした。

松江城天守閣からの眺め。宍道湖が見える   Photo by Adobe Stock

小田原征伐の後に大出世

その茂助は、稲葉山城攻めや備中高松城攻め、山崎の戦い、小牧・長久手の戦いなどで功を挙げていきます。天正18(1590)年の小田原征伐の際は、ライバルだった中村一氏が豊臣秀次に願い出、堀尾吉晴がすでに取っていた陣地を横取りしてしまう事件が起きました。

秀次の宿老でもあった吉晴は、秀次に堂々とその不満を述べ、周りの者をハラハラさせるほどでした。この逸話から、普段はおとなしいものの、曲がったことは許さない吉晴の性格が見て取れます。小田原征伐の後は、浜松12万石を与えられ、大大名に出世します。

松江城の内部 Photo by Adobe Stock
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晩年は「三中老」に就任...
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松平定知
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