鉄道の「廃線」を巡る 万国博覧会計画があった晴海埠頭のいま・むかし 遊歩道へと生まれ変わった鉄道遺構“日本初のローゼ橋”「晴海橋梁」 #豊洲#鉄道 記事に戻る 埋立が造成途中の頃の月島・勝どき周辺を描いた古地図。晴海〔月島四号地〕が姿を現すのは、それから12年後の1931(昭和6)年のことであった=1919(大正8)年発行の地形図に筆者加筆〔資料所蔵/JLNA〕東京市廰舎建設敷地附近諸施設計画試案。地下鉄や臨港鉄道が描かれている=計画図に筆者加筆〔資料所蔵/JLNA〕鳥観図絵師の吉田初三郎が描いた日本万国博覧会の計画図〔筆者加筆〕=宮内公文書館蔵かつての東京都港湾局専用線の路線図〔筆者加筆〕=資料所蔵/JLNA晴海橋梁の全体を示した図面。鉄橋(ローゼ桁)を中心に、左右にコンクリート製の桁が3径間ずつ配置される。〔側面図より一部抜粋〕=資料提供/東京都晴海線開通当日の祝賀列車。当時は国鉄のSLが貨物列車をけん引していた=1957(昭和32)年12月17日、中央区晴海、写真所蔵/JLNA廃止になるころの晴海橋梁をゆく貨物列車=1988(昭和63)年12月、中央区晴海、写真提供/東京臨海部広報展示室廃止から28年が経過したころの晴海橋梁の中央区側を見たところ。江東区と中央区の区界を流れる晴海運河で=2017年10月24日塗装も剥げ落ち、鉄骨の素地がむき出しだったころの晴海橋梁のローゼ桁。江東区と中央区の区界を流れる晴海運河で=2017年10月24日晴海橋梁を活用した遊歩道と最寄り駅の豊洲駅との位置関係を示した図=現地案内板より〔筆者加筆〕晴海運河沿いに展開する春海橋公園から見た晴海橋梁=2025年10月2日、江東区豊洲 江東区側から中央区側を見た晴海橋橋梁=2025年10月2日、江東区豊洲江東区側に設置された案内板と晴海橋梁=2025年10月2日、江東区豊洲 案内板の後ろには、当時の貨物列車の編成が描かれたモニュメントが設置されていた。写真は江東区側のもの=2025年10月2日、江東区豊洲貨物列車の編成が描かれたモニュメントの裏側には、当時使用されたディーゼル機関車に取り付けられていたプレート類のレプリカが取り付けられている。写真は中央区側のもの=2025年10月2日、中央区晴海 床面のレールは当時のものをそのままに、それ以外の部分はウッドデッキが敷き詰められていた=2025年10月2日、中央区晴海アーチ橋のところどころにあるスケルトンをのぞくと、枕木の隙間から川面を見ることができる=2025年10月2日、中央区晴海夜間に行われるライトアップは、毎日行われている=2025年10月1日、江東区豊洲この日は雨上がりということもあり、床面に光が反射し幻想的な雰囲気を醸し出していた=2025年10月1日、中央区晴海ライトアップされた晴海橋梁と東京タワーとの組み合わせも最高だった=2025年10月1日、江東区豊洲 記事に戻る 戦前、万博計画があった晴海埠頭 遊歩道へと生まれ変わった鉄道初の「ローゼ橋」