「白鳥橋」の位置相関図。地図上で着色(橙色)をしているエリアは「旧江戸川町」(1964/昭和39年までの町名)を示す=現地案内板に筆者加筆
1936(昭和11)年以前の白鳥橋。小石川区史〔1935年刊〕より=資料所蔵/JLNA
安藤坂と巻石通り(区道889号線)が交わる交差点名は、その名のとおり「安藤坂」=2025年12月8日、文京区春日
59年前の安藤坂を下りてくる都電39系統(3000形)。都電(当時は市電)が開通した時(1909/明治42年)に緩やかな坂へと改修されたという=1966年、写真所蔵/JLNA
上の写真とほぼ同じ場所から撮影した現況写真。左の角にあった酒屋さんはマンションへと建て替わっていた=2025年12月8日、文京区春日
神田川の上流側から見た1936(昭和11)年製造の鋼鉄製の白鳥橋。その橋上を走る都電(冨坂線)は39系統の6000形電車。現在は首都高速5号線が神田川を覆うように建設されており、周辺の風景は一変している=1967年、写真所蔵/JLNA
白鳥橋の橋上で行われた都電遺構〔レールと石畳〕の一般公開には、大勢の人が見学に訪れた=2024年10月16日、文京区後楽
56年の眠りから目覚めた都電遺構は、特殊な形をした路面電車に用いられる溝付きレールだった=2024年10月16日、文京区後楽
白鳥橋の都電遺構一般公開で展示された昭和8年に書かれた同橋の設計図面〔一般寸法図、S:1/60〕=2024年10月16日、文京区後楽
「白鳥橋」の銘板が取り付けられたコンクリート製の親柱。完成当時は鋳鉄製(鋳物)だったが、おそらく先の大戦の金属供出でコンクリート製の簡素なものに取り替えられたのではないだろうか=2024年10月16日、文京区後楽
白鳥橋の都電遺構一般公開で展示された昭和8年に書かれた同橋の設計図面〔一般構造図(側面図)、S:1/100〕より部分抜粋=2024年10月16日、文京区後楽
白鳥橋の橋上での都電遺構〔レールと石畳〕の取り出し作業のようす=2024年11月13日、写真提供/藤田孝久
下流側から見た工事開始前の白鳥橋=写真/河川工事(白鳥橋通行止め)のお知らせ〔東京都第六建設事務所・作成〕より
解体工事が進む鋼鉄製の白鳥橋。現在残るのは歩道部分にあたる鉄桁のみだ。後方に見る工事用の重機が置かれているところは仮桁部分=2025年12月8日、文京区後楽
工事用フェンスで囲われ、通行止めになっている白鳥橋=2025年12月8日、文京区後楽
東京都交通局の外郭団体が所有する「教材」として保存している白鳥橋の都電遺構〔レールと石畳〕。約タタミ一畳分の大きさのものを2つ組み合わせている=2025年6月8日、「路面電車の日イベント」(一般公開)で。写真提供/藤田孝久
都電荒川線の終点「三ノ輪橋停留場」越しに見るジョイフル三の輪〔商店街〕アーケードの入口(右後方の青い屋根)。さらにその右に建つ中層階の白い建物は、旧・三ノ輪王電ビルだ=2025年12月11日、荒川区南千住
都電三ノ輪橋停留場から日光街道(国道4号線)へと抜ける道に建てられている旧・三ノ輪王電ビル。ぽっかりと空いた空間は、都電の電車がすっぽりと収まりそうな気配だ=2025年12月11日、荒川区南千住
三ノ輪橋駅そばの日光街道(国道4号線)沿いに建つ旧・三ノ輪王電ビル。「王電」とは都電荒川線の前身となる「王」子「電」気軌道の略=2025年12月11日、荒川区南千住
ジョイフル三の輪(商店街)を入ってすぐのところにある「都電カフェ(都電屋)」=2025年12月11日、荒川区南千住
都電カフェの入口に展示される都電荒川線の前身となる「王子電気軌道」の沿線案内図と同線の鉄道模型ジオラマ=2025年12月11日、荒川区南千住
都電カフェの店内。手前がカウンター席で、奥がテーブル席になっている=2025年12月11日、荒川区南千住
入口を入ると目の前には、都電の模型や鉄道関連の部品がお出迎えしてくれる=2025年12月11日、荒川区南千住
店内の奥にあるテーブル席。一部の席では鉄道車両で使用していた本物の座席が使われていた=2025年12月11日、荒川区南千住
カウンター下のスペースに展示される白鳥橋の都電遺構〔レールと石畳の一部〕と、この橋を通っていた都電39系統の系統版など=2025年12月11日、荒川区南千住
都電の古レールを並べた展示。右から明治時代に製造された段レール、白鳥橋の溝付きレール、お茶の水橋の溝付きレール=2025年12月11日、荒川区南千住
ジョイフル三の輪商店街のご当地ものを作ろうと考案された「三ノ輪バーガー」=写真提供/都電カフェ(藤田孝久)