東京山手急行電鉄あてに鉄道省から発出された免許状=資料/国立公文書館蔵
壮大なスケールを誇った東京山手急行電鉄の当初の路線計画図。地図上に朱書きで「の」の字のように描かれている=資料/国立公文書館蔵
「の」の字から「C」字を描くように縮小された東京山手急行電鉄の路線計画図=資料/国立公文書館蔵
地図上に「帝都電鉄」の名で記された東京山手急行電鉄の路線計画の一部。大井(大井町)~駒沢=資料/国立公文書館蔵
中野~駒込間に見る計画路線が点線で描かれている東京山手急行電鉄の計画図=資料/国立公文書館蔵
東京山手急行電鉄(大井駅~駒込駅間)の列車ダイヤ想定案=資料/国立公文書館蔵
明大前駅付近で東京山手急行電鉄(破線で描かれる)と井の頭線(渋谷急行電気鉄道)、京王線(京王電気軌道)とが交叉していることがわかる路線計画図。この線形は実際の施工計画とは異なり、明大前駅を経由していない=資料/国立公文書館蔵
玉川上水水路橋(玉川上水交叉水路函型隧道)の位置を示した地図=世田谷区が作成した現地案内図に筆者加筆
井の頭線の車内から見た「玉川上水交叉跨線水路橋」。左の2線分が帝都線用のスペースだった=2026年1月21日、井の頭線(永福町駅~明大前駅間)
暗渠と化した玉川上水。この写真に見る奥側に水路橋(水路函型隧道)がある。明治大学和泉校舎正門前の歩道橋上から撮影=2026年1月21日、杉並区永福
暗渠と化した玉川上水の上を公園として整備した杉並区立「玉川上水公園」。入口にはモニュメントとして橋の親柱と欄干が残されている=2026年1月21日、杉並区永福
水路橋(水路凾型隧道)上を流れていた玉川上水は、1960年代はじめに水路橋の前後周囲は暗渠となり、橋上部分は導水管(写真左側の黒い管路)に切り替えられた。その導水管(水路)を挟むように左右に歩道が設置されているが、写真に見る右側の歩道は閉鎖されており通行できない=2026年1月21日、杉並区永福
明大前駅の井の頭線ホームのようす。東京山手急行電鉄(帝都電鉄線)の乗り入れを想定していたためか、敷地そのものが大きく確保されている=2026年1月21日、世田谷区松原
東京山手急行電鉄(帝都電鉄線)と井の頭線は、明大前駅と東松原駅の間で交叉しながら合流する計画だった。そのあたりの線路敷地が大きく確保されているのは、計画の名残なのだろうか=2026年1月21日、世田谷区松原
大東京鉄道の計画当時の文書や図面類をつづった公文書の簿雑=資料/国立公文書館蔵
金町電気鉄道(→のちの大東京鉄道)が昭和2年11月5日にてう同省あてに提出した電気鉄道敷設免許申請書=資料/国立公文書館蔵
大東京鉄道の認可や免許に関することが記された公文書=資料/国立公文書館蔵
大東京鉄道の路線計画が記された地形図=資料/国立公文書館蔵
鶴見駅から伸びる大東京鉄道の計画路線。大井町駅から伸びる東京山手急行電鉄(東京郊外鉄道→のちの帝都電鉄線)が併記されている=資料/国立公文書館蔵
大東京鉄道の路線計画が記された地形図=資料/国立公文書館蔵
千葉・埼玉方面へと延びる大東京鉄道が記された地形図。路線計画が幾度となく変更されていることが読み取れる=資料/国立公文書館蔵
成田急行電気鉄道として免許申請を行った際の申請書類の写し。大正12年8月1日に鉄道省へ提出したもの=資料/国立公文書館蔵
成田芝山電気鉄道が、施工認可申請期限延期を願い出た際の公文書。東京成芝電気鉄道から免許譲渡を受けたことが記されている=資料/国立公文書館蔵
成田芝山電気鉄道が、昭和4年7月1日付で成芝急行電鉄に社名を変更した際の届出文書=資料/国立公文書館蔵
成田急行電鉄の計画路線が描かれた地形図。中央下寄りに右書きで「鉄電行急田成」と書かれているのが読み取れる=資料/国立公文書館蔵